まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

ジェニファー・イーガン(中谷友紀子訳)「マンハッタン・ビーチ」早川書房

世界恐慌発生後、1934年のアメリカはニューヨーク、エディ・ケリガンが12歳の娘アナを伴い、イタリア系ギャングのデクスター・スタイルズの邸宅を訪れるところから物語はスタートします。エディがデクスター邸を訪れたのは、体に障害がある次女のため車椅子を買ってやるための金を稼ぐためでした。かつては羽振りが良かったエディも大恐慌によりすっかり落ちぶれ、港湾労組支部長を務めるダネレンに雇われ裏金の運び屋をしているという有様でした。

その状況から抜け出そうとしたエディが接近したのがアイルランド系と対立するイタリア系ギャングのデクスターですが、彼の元で働くようになったエディがあるとき失踪し、それから5年の歳月が流れます。19歳になった娘のアナは母と一緒に障害のある妹の世話をしつつ海軍工廠で働いています。彼女は偶然訪れたナイトクラブでそこのオーナーであるデクスターと偶然出会います。このとき、彼が父の失踪について何か知っていると思った彼女はご近所さんの名前を騙り、デクスターに接近していきます。果たして父親失踪の真相は、、、、。

アナは海軍工廠で戦艦の部品検査(ミズーリの部品だったりします)をしていたのですが、たまたま見かけた潜水士に関心を抱き、潜水士募集に応募し、テストに合格します。しかし彼女を認めようとしないアクセル大尉から結構長い間彼女に対しなにかと嫌味、嫌がらせを受ける場面がたびたび見られます。潜水士の世界は男社会、それも白人の男社会として描かれており、その中でのアナの努力奮闘はこの本の軸となる部分です。周りから無理だ、やめておけと言われても、それに挑戦し、壁を超えていこうとし、何らかの形で乗り越えて行くという展開は、王道あるいは典型的な話とも言えますが、それが良いのかなと思います。

一方、デクスターは父親に内緒で裏社会で働き始め、さらに禁酒法時代が終わりに向かうなかナイトクラブ経営に儲けを回し、複数のクラブを経営する実業家としての顔をもつようになります。さらに大統領にも影響力があるという金融業界の大物の娘を妻に迎え、社会の支配層にもつながりをもちつつあります。そんなデクスターは戦時公債の売買を通じ、表の金融業界へ浮かび上がろうと考え始めます。しかし、それに対する義父の反応はあまりかんばしくないものでした。

才覚溢れ、度胸もあるデクスターですが、イタリア系の生まれで、裏稼業で生きてきたという時点で、それ以上の上昇を阻まれ、表の世界に出られないという難しさに直面しています。上昇を目指しながら、最終的に失敗するという物語の展開、これもまたよくある話の進め方ではあります。

そして、アナの父エディに関する話もまたこの本の軸を構成する要素の一つとなっていきます。カードゲーム相手の老人から、いかさまだけはするな、と言い聞かされ、いかさまを見破る方法を教わり、それを生かしてデクスターの元で働くようになりますが、そんなエディとデクスターの間で何かしらトラブルが起きた事を窺わせる描写が途中に何回か挟み込まれます。

物語の後半では、エディが海の世界で奮闘する様子が描かれています。かなり知的だが彼と反目する甲板長との関係の変化や、船が沈没した後の生死がかかった漂流を体験するという海洋小説的な展開は、ニューヨークを舞台にしたアナやデクスターの物語とはまた一寸違った味わいがあります。

アナ、デクスター、エディ、3人とも優れた能力と意志の力は持ち合わせていますが、生まれや時の運、性別といった障壁にぶちあたり、今の状況から抜け出そうと懸命にもがく人々です。イタリア系ギャングの台頭と挫折を描いた裏社会もののような要素もあれば、勇気ある女性(90キロもある潜水服を着ようとは普通思わない)が未知の領域に踏み込み悪戦苦闘しながら地位を築く成功譚でもあり、はたまた海洋小説の趣も有りと、普通の作家であれば、それぞれで一本ずつ本を書くような題材3つを巧みに絡め、一つの物語として描き出しています。

また、そんな彼ら3人の物語は、海についてイメージされる諸要素が色々な形を取って現れているような感じもします。この物語、アナが潜水士に憧れたり、デクスターの邸宅がマンハッタン・ビーチの側にあったり、エディの航海物語が展開されたりするほか、性と死に関する重大な事柄に船小屋が関わったりすることや、アナの妹リディアの扱い等々、海との関わりが随所に見られます。

海については、イメージやメタファーについての事典とかを見ると、すべてのものが生まれ、そして帰っていく場所、ありとあらゆるものをその中にため込む場所とか、真実や英知、良心、永遠、肥沃、不毛、性欲、死、孤独等々のイメージがあるようです。

また、海と陸の境界地帯というと人が出会ったり分かれたりする場だったり、渚が「現世と他界とをつなぐ接点とみられ、そこに墓地も産屋も設けられた。海からの来訪神や死者の魂を送り迎える儀礼の場所」(谷川健一『日本人の魂のゆくえ』(富山房インターナショナル))とされるなど、ここではないどこかへとつながる場所という扱いがされる地域もあったりします。

人々が海についてイメージするこれらのものが、この物語の登場人物達の言動、行動を取って現れているようにも見えました。彼らの言動、行動により象徴されるものすべてを合わせていくと、一つの海が描かれるというか、そのような感じでしょうか。アナもデクスターも、エディも決して歴史に名を残すような偉人ではなく、この時代の市井に生きる一般人にすぎません。しかし、そのような無数の人々の活動が、結果として、「理想や、言語や、文化や、生活様式を世界に輸出する」アメリカを作り上げていったところと重なるような本だと思います。ページ数はかなり多めの本ですが、気がつくと引き込まれていました。