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谷井陽子「八旗制度の研究」京都大学学術出版会

16世紀後半、交易ブームの影響が及ぶなか東北アジアでは女真族ヌルハチの元で統合されていきました。彼の子孫たちの不断の努力を通じて大清帝国清朝)が成立しましたが、帝国の根幹をなすしくみとして八旗と呼ばれる社会制度・軍事制度の存在が挙げられます。

この八旗については、以前自分のブログでも感想を書いた杉山清彦「大清帝国の形成と八旗制」でも詳しく論じられていますが、八旗については一般的には八旗それぞれが独立した連旗制であり、清朝は分権的な国家という理解がなされているようです。それに対して、清朝はハンが独裁的な権力を振るう集権的な国家であったという通説と真っ向から対立する論を展開しているのが本書です。

本書の内容としては、ヌルハチの時代から入関前の清朝の経済的背景から迫ります。明とモンゴルという大勢力にはさまれた弱小勢力である女真族のなかでも当初のヌルハチの勢力は零細としか言いようがなく、人口を増やしつつ食料を確保しなければならず、つねに余裕がない状態にあったことが前提としてあることが示されます。

そのような状況下で国家として発展するためには女真族はハンの指導のもとで一つにまとまることが必要であり、集権的な体制を作っていたということを、財政や軍事、政治構造を通じて史料に即して描き出していきます。絶えず困窮状態に置かれていた清朝では有力者の利益獲得にある程度制限を加えたり可能なかぎり貧民も扶助する体制を取ったいたことや、戦争の規模や日数が国家の発展とともに拡大する一方で常に兵力が不足気味であり、効率よく限りある兵を動かしながら勝利するための編成や指揮、管理が行われていたこと、そして分裂を回避し団結を保ち、合議のうえでハンの判断に従う体制をとり、軍旗や賞罰を明確にし規律を守り、功あるものを取り立てるといったことがしめされていきます。

また、本書では史料にそくし、清朝が既存の政治体制の上に成立した体制ではなく、むしろそう言ったものから自由であったところに成立し、それゆえに成功したという見解を示しています。これもまた、よく見られる理解とは違うところかと思われます。清朝の諸制度を見ると、中央ユーラシアに伝統的に存在した国家体制と酷似しており、遊牧民ではない女真族も国家建設に際しては遊牧民の軍事・政治が一体化した体制を作っており、中央ユーラシア国家の系譜に位置づけることが可能という見解が示されていますが、そうしたモデルを設定してみるのではなく、あくまで史料に即して考え、女真族清朝の独自の発展を見ていこうという本だとおもいます。

リソースに乏しく常に窮乏状態を強いられる中で国家を発展させなくてはならないという、ある種極限状態におかれていたことが、清朝においてハンを中心にまとまっていくこと、信賞必罰を明確に示し、財貨を特定の層が独占しない仕組みをつくるといったことに表れているといったところでしょうか。八旗の内部の仕組みや軍事に関することについての説明が詳しく、八旗がどのような仕組みとなっていたのかを知る上で有益な本だとおもいますし、これ以外の本も併せて読むことが、今後八旗について研究する上での第一歩なのかなという気がします。