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蔀勇造「物語アラビアの歴史」中央公論新社(中公新書)

アラビアの歴史、というとどのあたりの時代をイメージするでしょうか。現代の複雑な中東情勢を思い浮かべる人もいると思いますし、近代の英仏の進出とのかかわり、第一次大戦中のアラブの反乱といったあたりが出て来る人もいると思います。そして、ムハンマドイスラム教を説き、瞬く間に勢力を拡大していった頃の印象が強い人もいるかもしれません。アラビアの歴史というとイスラム世界の歴史と思っている人もいるのではないでしょうか。

しかし、アラビアの歴史の通史をうたう本書において、その半分以上を占めているのはムハンマドによるイスラム教の布教以前のアラビアの歴史です。本書で示されるムハンマド以前のアラビアの歴史は、この地に栄えた王朝の活動範囲がアラビア半島を超え、インド洋海域世界にもおよぶことがある、実にダイナミックなものです。

北方の先進文明地域との間で隊商交易が展開されるようになり、オアシス都市が形成され、やがてサバァ王国の登場を嚆矢とし、アラビア半島における諸王国興亡の歴史が描かれていきます。サバァ王国以外にもヒムヤル王国ハドラマウト、マイーンといった様々な国々がこの地域に出現し、交易に関わりながら栄え、争いを起こす、そういった歴史が残された碑文や後世の文献をもとにして復元されていきます。さらに交易の発展に伴い、交易拠点となる都市が複数発展していったことや、ヘレニズム時代にはペトラを首都とするナバテア王国のような国家も現れて来ることなども触れています。そのほか、ゼノビア女王で有名なパルミュラも登場します。

そして、国家の興亡に大きな影響を与えていたのが、周辺の3大国として扱われるローマ帝国(のちビザンツ)、ササン朝、そしてエチオピアを中心とするアクスムといった国々であったことも触れられています。この3カ国はアラビアへの干渉をしばしば行っていましたが、この中で特にアクスムと半島の関わりは興味深いものがあります。ヒムヤル王国にトゥッバァ朝という時代がありますが、著者はこれはヒムヤルがアクスムの宗主権を受け入れた状態であることを論じていきます。なお、3大国はアラビアへ干渉し、諸勢力に宗主権を認めさせたりしていますが、その際に下賜金が与えられていたりします。宗主権を認め従う側にも、その旨味はそれなりにあったようです。

ビザンツササン朝アクスムの3大国のはざまにおいて諸国家が興亡を繰り返し、合従連衡を繰り広げたアラビア半島において、イスラム教が7世紀に起こり、やがて周辺へと拡大していくことになります。メッカの繁栄とイスラム教の成立について、通説ではビザンツササン朝の争いにより従来の交易路が使えなくなり、それにかわるルートが発展し、メッカもそれによって栄えたということが言われています。またメッカの繁栄の背景で貧富の差など社会問題が生じ、それを背景にムハンマドイスラム教を始め、信者を獲得していったと言われています。しかし、著者はそれと異なる見解を示しています。

それによると、ヒジャーズ地方を通る交易路の半島部東端はササン朝が抑えていたうえ、メッカはヒジャーズ地方を通る主要な交易路からは外れており、通説的な理解は難しいとしています。では、何が背景にあったのかということについて、大国間の対立抗争がつづき、その圧力がアラビアにも及んでおり、大国に振り回されることに嫌気が生じていたアラビアの人々の間で救世主願望が強まっていたことがあるとかんがえているようです。ムハンマドイスラム教を始めた頃、ムハンマド以外にも預言者を称する者が複数現れており、そのような状況の一端を示しているとも言えるようです。著者の見解がどの程度妥当なのかはわかりませんが、ネイティビスト・ムーブメント(太平天国の乱などのようなもの)としてイスラム教の成立を捉えるところは非常に面白いと思います。

そして、イスラム教ができ、拡大していった後のアラビアについてもページを割いていて、アラブの征服がかえって人口の流出を招き、ヒジャーズ地方は例外としてそれ以外は人も減ってしまい、辺境の田舎のような状態に逆戻りしていきますが、その頃も興味深い歴史が残されています。。著者の専門はイスラム教が成立する以前のことですが、イスラム成立後のアラビアについても、第一次・第二次内乱やオマーン、イエメンに出現した諸国家、さらにアラビア半島流入したイスラム教の諸分派についてもまとめていきます。イスラムの一派となっていながら、メッカ巡礼を襲撃し略奪するだけでなく、カーバ神殿の黒石を奪ったこともあるという「六信五行」など気に求めていないかのような勢力がいたということは初めて知りました。そして、ワッハーブ運動やサウード家による王朝国家樹立、諸部族の移動と列強との関わり、世界大戦以後のサウード家、ラシード家など有力一族の角逐、現在の状況までをまとめていきます。

さらに、こうした諸勢力の興亡の歴史に深く関わることとして、アラビアが隊商交易や海上交易の拠点として栄えた様子が随所に記されています。そして、アラビアの歴史という表題ではありますが、アラビアに拠点を置いた勢力が半島を超え東アフリカ沿岸部をはじめインド洋海域世界で活躍していたことが様々な事例をもとに示されています。奴隷を含む様々な商品をアラビアの商人が取り扱っていたこと、そして奴隷が商品の一つとして扱われていたことが、近代になり中東に進出したイギリスなどが彼らを押さえ込んでいく口実として使われていたこともそこには含まれます。

出土遺物や碑文なども駆使しながら、アラビアにおける諸国家の興亡、諸勢力の角逐の歴史を一冊にまとめあげ、さらに陸と海の交易路をつうじ、アラビアが様々な世界と関係を持っていたことが一般向けに示されています。馴染みのない人命と地名は色々でてくるため、それで戸惑う人もいるかもしれませんが、非常に面白い本であることは間違いありません。是非読んでみてほしい一冊です。