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ローレン・グロフ(光野多惠子訳)「運命と復讐」新潮社

駆け落ち同然に結婚したロットとマチルド、結婚してしばらくの間、俳優として目が出ないロットをマチルドが生活費をなんとか稼ぎつつ献身的に支え続けます。やがてロットは脚本家として成功し、彼は幸せに満ちた夫婦生活を送っていたのですが、ある時妻の秘密を知ってしまいます。

ロットの視点で語られてきた、苦労しながらも幸せな家庭を作り上げてきたという夫婦の物語、そして誰もがロットについて語りたがるのが第1部「運命の物語」で、秘密を知ってから始まる第2部「復讐の物語」はマチルドの視点で語られる物語です。そこでは美しく幸せにみえる夫婦生活の裏にあった数々の出来事や自分を守るために「マチルド」となっていったことなどのマチルドの過去が明らかになる描写が挟み込まれつつ、彼女の物語が語られていきます。

結婚の悲劇と喜劇というようなことが本書の紹介にありましたが、悲劇と喜劇の違いについて本書第1部のロットがまだ学生時代の話が思い起こされます。同じものもどういう枠組みで見るのかによって変わるという趣旨の話をする英語教師がいますが、まさにロットとマチルドの結婚もそういうものとして描かれています。

本書の第1部、第2部をつうじて、誰かが金や権力など様々な力により他人の人生を思うがままにしようとすることや、ある個人としてでなく誰かの付属物のように扱われ、いつしか自分の考えを他人に勝手に代弁されてしまうような状況が色々と見られました。また、ある特定の生き方が素晴らしいというような刷り込みにより人生の選択の幅がいつしか狭められ、別の生き方が想像しづらい状況も生まれているように感じました。

登場人物どうしの対話にならない対話、勝手な思いこみ、一方的な押し付けや他人へのむき出しの支配欲(マチルドが寿司を食べられなくなったりする場面がありますが、あれなどはまさにそういう場面だろう)、第1部、第2部を通じてそのような場面が色々と出てきます。ロットの母やマチルドの上司の美術商はまさにそのような人物ですが、ロット自身も悪意なく無意識にそのようなことをしていますし、そのことで反発を受けてもなお自覚できていない場面が見受けられます。

それと同時に、自分らしい考え方や生き方などをいろいろな場面で損なわれ続けてきた者がそれを取り戻そうとする物語も描かれています。第2部のかなり奔放なマチルドの姿は、長年の抑圧状態(ロットとの結婚生活の間、彼が思い描く理想の妻の姿を見せ続けてきた分、相当鬱屈したものを抱えていそうですし、彼と出会う前もいろいろなことがありました)から解放され、どうすれば良いか模索しているような印象を受けます。また、ロットの長年の悪友チョリーのマチルドに対する「仕打ち」も自分が何かを失ったことに対する反応とも言えるでしょう。

興味深い人物としては、ロットの叔母サリーとロットの年の離れた妹レイチェルの2人でしょうか。ロット、マチルドになにがあっても決して離れることなく、マチルドから来るなと言われても姿を見せ、声をかけ続けるのは彼女たちくらいですが、そうさせるものはロットの存在のせいだけではないように思います。ローレン・グロフ(光野多惠子訳)「運命と復讐」新潮社