まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

オルダス・ハクスリー(黒原敏行訳)「すばらしい新世界」光文社(古典新訳文庫)

遙か遠い未来、人間を各階級ごとに違う形で生まれるように人工的に細工し、さらに生まれた後は色々な条件付け教育が行われる(本や花に対して拒絶反応を示 すようにする等)、そして生殖につながらないフリーセックスの奨励、快楽薬であるソーマの配給によって不安は打ち消すといった事が行われていた。

そして、人間は何ら不安を感じたり悩みを抱えて苦しんだりすることなく、幸せに生きることができるようになった。しかし、一番上のアルファ階級のはずが手 違いでアルコール処理が血液に施され容姿が醜くなったバーナード・マルクス、アルファ階級で郵趣な頭脳を持つが社会に少し疑問を持つヘルムホルツ、そして 文明人を両親として蛮人地区で生まれ育ち、バーナードたちにより文明社会に連れてこられたジョン、彼ら3人がこの新世界に対し疑問を抱くようになるのです が…。

なんというか、あらゆる科学技術を導入し、なんら不安を感じることもなく幸せに生きられる「新世界」でくらすのは、レベルも限界まで上げ、ステータスもぎ りぎりまで上昇させ、ほとんどやることをやり尽くしたRPGを遊び続けるような感じなのかなという気がしています。ゲームであれば飽きたらやらないと言う こともできますが、社会はそう簡単に変えられないし、薬でもやっていないと退屈さでおかしくなりそうですね。

また、「良い事をする」ということが前面に出されたときにそれを否定することの難しさも改めて感じます。自ら進んで不幸の道を突き進みたいと思う人はそう そういないわけですが、果たしてそれが本当に良いことなのか、そして「良いこと」をすると言うことの裏に何か隠されているのか、それを如何にして見定める のかが大事なような気がします。

そして、この本をよんでいると、穴が開いたらぬって繕うのでなく、それを捨てて新しい物を買えばいいというようなことを言っていたり、新しい物を求めるこ とが良いと思われていたり、常に欲望を満たし続けることが求められているという指摘があったりと、現代の消費社会を思い起こさせる描写もけっこうでてきま す。

物語としては平板で面白くないという意見もありますが、この平板さも、刺激のない平穏で幸せな世界を肌で感じさせられているのかもしれません。しかし、途 中までは平板な調子のこの話が後半、そして終盤になるとなんとなく胸騒ぎを覚えたのは私だけでしょうか?この新世界で否定されている物に興味関心を抱き、 そこに価値があると思っているから、それを否定された世界に対して何かしらの違和感を覚えているからでしょうか?読み終えた後、なんとなく落ち着かない気 分にさせられた一冊でした。