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河合望「ツタンカーメン 少年王の謎」集英社(集英社新書)

2012年の夏に、上野でツタンカーメン王関連の展覧会が開かれます。かなり昔に黄金のマスクが来て以来となるツタンカーメン展ですが(黄金のマスクは来 ないです)、それに関連して古代エジプト関連の書籍も数多く出版されています。この本もその一つですが、著者がちょうどツタンカーメンの時代の古代エジプ トを研究している研究者ということで、著者の研究の成果も盛りこみながらまとめている一冊です。

前半はツタンカーメン王墓発見に到るまでの話、いわゆるツタンカーメンの呪いといった、色々とよく見る話が取り上げられています。この部分は特に目新しい 記述はありませんが、「アラブの春」の混乱の中でエジプトで美術品盗難が発生し、そのなかにツタンカーメン関連の遺物もあり、なお戻らない物もあるという ことが新しい話題です。その後の第3章から、本題に入っていきます。

第3章では古代エジプト新王国時代アメンホテプ3世、アメンホテプ4世(アクエンアテン)の時代を取り上げています。アメン神官団が力を強める中、王 権を強化して彼らを抑えようとした国王のうごき、特にアクエンアテンによるアテン信仰の推進が取り上げられ、彼はアテン信仰を世界宗教としようとしたので はないかという指摘が見られます。また、アメンホテプ4世から後のエジプトの王や王妃について、情報が錯綜しているのですが、それを整理しています。ネ フェルティティが突然記録から消えたのは彼女が亡くなったためであること、ツタンカーメン即位前に謎に満ちたファラオ(同名の男女の王がいたという)がい たことなどが指摘されています。

人間関係というと、ツタンカーメンの父親や母親についても近年のDNA鑑定の成果も踏まえながら可能な限り描き出していますが断定するまでには到っていな いようです。可能性が高いのは父親がアクエンアテンであるということのようですが、真相はどうなのでしょう。その他、ツタンカーメン即位前の状況から、ツ タンカーメン即位後のエジプトの状況についてもまとめ、彼の死因やその後のエジプトの話についてもページ数を割いて説明しています。また、ツタンカーメン が正統と認めなかった王の副葬品を名前を変えて利用していたり、正統性を確保するためにアクエンアテンとティイをアマルナから王家の谷に埋葬し直している ことなども判明しています。遺物の扱いと関連して、ツタンカーメンの母親とされたこともある王妃キヤについて、キヤの遺物がアクエンアテンの再埋葬のため に利用されているところから母親ではないと著者は考えているようです。

ツタンカーメンというと、大量の財宝が発見された王墓発掘のおかげで有名になった国王ですが、エジプトのファラオとして、彼の治世はどのように古代エジプ ト史の流れの中に位置づけられるのでしょう。彼以前の王たちの業績をまとめたうえで位置づけてみようとすると、こんな感じでしょうか。

“ヒクソスを追って成立した第18王朝は対外的に領土も拡大し、繁栄期を迎えた。しか し、一方で国内で強大化したアメン神官団が王権にとり脅威となりはじめ、アメンホテプ3世はアメン神官団の力を抑える方向で動き出し、アクエンアテンのも とで太陽神アテンを崇拝する一神教改革が進められた。これらの動きは王権を強め、中央に力を集中していく一方でアメンなど他の神を弾圧し、富も王の元に集 めるものであった。しかしアメンホテプ3世の治世後半よりエジプトのオリエント世界における存在感が低下し始め、アクエンアテンは対外政策に失敗、国内の 宗教改革と合わせ、不満を持つ人々が増加した。そして、アイとホルエムヘブという有力者の後見を受けたツタンカーメンの治世において、アテン信仰推進や王 権強化路線は修正され、王と貴族の共存、伝統宗教の復興や富の分配が行われた。有力貴族の集団指導体制のもとですすめられた過激な改革に対する揺り戻し、 それがツタンカーメンの治世であった”

ツタンカーメンの時代については新たな発見や別の調査方法の導入により、近年研究がかなり進んだようです。近年の新しい成果を数多く盛りこみながらまとめ られた本書をよんでいて、自分の頭の中にあった旧い知識をアップデートする事ができたような気がします。まだまだ分からないことは多々ある分野ですが、す こしずつでも判明していくのではないでしょうか。新しい研究成果を盛りこみながら、第18王朝の繁栄の時代とそこにいたファラオについて読みやすくまとめ ている一冊だと思います。