まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

稲野強「マリア・テレジアとヨーゼフ2世」山川出版社(世界史リブレット人)

マリア・テレジアとヨーゼフ2世というと、18世紀にオーストリアを発展させていこうとした君主としてその名前が良く出てきます。また、マリア・テレジア というと、「外交革命」、そしてマリー・アントワネットの母親といったことは良く触れられますし、ヨーゼフ2世というと系も専制君主と言う言葉で表される ことが多いです。

この二人は「啓蒙の世紀」といってもよい18世紀に生き、ハプスブルク君主国という歴史的に非常に古く、社会構造も昔の要素を色濃く残す国家の君主とし て、国の発展のために尽力しましたが、当然の如く二人の取り組み方には違いがありました。その辺りの所をコンパクトにまとめたのが本書です。

読んでみた感じたこととしては、この二人は母親は現実と妥協しつつすこしずつ変えていくところは変えていくのにたいし、息子のほうは理念が現実よりも優先 されるところがあるというという違いこそあれ、両者とも改革の方向性にそれ程の違いはなかったと言うことですね。宗教政策、そして農民政策に関しては、 ヨーゼフの方が急進的だったとは言え、目指している方向性にそれ程のずれは感じられませんでした。マリア・テレジアヴォルテールに関する評価から察する に啓蒙思想は相当嫌っていたようですが、彼女はヨーゼフが当時流行の思想や学問を学ぶことを邪魔したりはしていないですし、啓蒙思想家の著作の出版も認め ていたりするので、個人の信条と国家の発展とは別々に考えていたような感じがしました。

そんな両者の違いはいろいろとありますが、君主としてのイメージ戦略を見ると両者の演出方法もかなり違うように感じました。昔の君主達は自己イメージを芸 術やら祝祭やらを利用しながら宣伝していきますが、マリア・テレジアは派手な祝祭や子ども達に囲まれた絵などの芸術を利用しながら「国母」というイメージ を作り上げるに到ります。ヨーゼフもちょこっと農作業手伝ったり(そこから「農民王」というイメージが生まれたりする)、それなりには演出もしているよう ですが、派手なものを好まず質素倹約をよしとする彼の性格がちょっとその辺では不利に働いているような所があるのではないかと覆います。

ヨーゼフの治世に行われたことのその後影響としては、支配領域一律に同じような政策を展開しようとしたり、中央集権化を進めようとしたことが、支配下の諸 地域で独自性を主張する動きを生み出し、諸邦での文化活動を刺激していったこと、そしてそれが19世紀の民族再生運動の活発化につながっていくということ が述べられています。各邦のハプスブルクからの自立・独立を開く道に大いに貢献したという形で締めくくられていますが、このあたりは「諸民族の牢獄」とし ての多民族帝国のイメージが何となく残っているのかなという気がしました。自立と独立が、新たな排除を生み出してきたと言うことは、現代の世界において 色々と現れていると思うのですが、果たして手放しで礼賛して良いものかと少し悩んでしまいました。