まずはこの辺は読んでみよう

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村上信明「清朝の蒙古旗人 その実像と帝国統治における役割」風響社

昔は清朝の歴史というと、中華帝国の一つとして扱われてきました。確かに、満洲人は中国文明を取り入れて徐々に「漢化」されていっていますし、中国王朝の 官制を採用し、歴代皇帝が中国文化を愛好したことをみると、そのような見方もできます。しかし清朝の領域は広大であり、マンチュリア(中国東北部)、チ ベット、東トルキスタン、青海、モンゴルにまでひろがる版図の中で華北~華南の地は支配領域の一部に過ぎません。そのため、最近では清朝が単なる中華帝国 ではなく北方アジア世界と中華世界を結びつけた存在、様々な顔を持つ帝国として理解されるようになってきています。

その清朝を支えた社会・軍事組織が八旗であり、太祖ヌルハチ満洲人を組織し、その後漢人主体の八旗漢軍、モンゴル人からなる八旗蒙古も作られました。これに属する人を「旗人」とよび、彼らが清朝の支配者層として君臨していたのです。

本書では旗人のなかで蒙古旗人を扱っていきます。出自はモンゴルでありながら官僚任用制度上満洲人と同じと考えられていたことや「満洲化」を理由に、蒙古 旗人は「満洲」として扱われてきた歴史があります。しかし彼らは「モンゴル」としての特徴を失ったわけでなく、清朝の方も彼らを明らかに別の物と見なして いたこともあります。本書は17世紀から18世紀後半までの時期の蒙古旗人を扱い、帝国統治において果たした役割、言語能力や仏教信仰のあり方から実像に 迫っていきます。

まず、本書の1章では清に従うモンゴル人の区分から始まり(八旗に組み込まれていないモンゴル人も多数いることが示されます)、八旗に組み込まれた者にも 八旗満洲に属する者と八旗蒙古に属する者がいることが示されます。その後、官僚任用制度と蒙古旗人の関係がまとめられ、内地向けの六部では蒙古のポストは 少ないが、藩部統治に関わる部署では彼らの活躍の場は多かったことがしめされます。そこでの仕事はモンゴル語チベット語文書の取り扱いなどで、そう言っ た場での活躍が蒙古旗人に期待されていた事が後で示されていきます。ちなみに同じ蒙古旗人でも、モンゴル語能力の有無により昇進コースは異なっていました (理藩院に行くか、それ以外に行くか)。

2章では、蒙古旗人のモンゴル語能力や言語政策が取り上げられ、生活の必要から進んだ「漢化」・「満洲化」の2重の圧力のもとでモンゴル語能力が徐々に低 下する蒙古旗人のようすと、清朝政府が何とかして彼らのモンゴル語能力の維持を図ろうとし、それが無理と分かると少数精鋭・実地養成という形に向かってい くことがまとめられています。しかし、それでも時代が下るにつれてモンゴル語能力は低下していたようで、乾隆帝の治世後半には理藩院の役人ですらモンゴル 語能力が怪しくなり、モンゴル語能力向上を促しつつも自助努力任せにせざるを得ない有様だったようです。

3章ではチベット仏教との関わりがまとめられています。蒙古旗人の間でチベット仏教が広く信仰されていたことが示されています。なお「転輪聖王」・文殊菩 薩の化身として清朝は北方アジア支配の正統性を担保されていたことから、チベット仏教の保護・興隆に意を尽くす必要がありましたが、そんななかで蒙古旗人 の存在は重要な意味を持ったようです。そのため、蒙古旗人のチベット仏教信仰を認め、それを保持させようとしていた形跡があります。また、蒙古旗人にと り、出自(モンゴル出身)とチベット仏教信仰がアイデンティティを支える要素で、それと旗人としての誇りが共存していたということが、清朝にとって彼らが 藩部統治において重要な存在たらしめていたようです。

50ページほどの著作ですが、蒙古旗人を巡る諸々の事柄をコンパクトにまとめていて、比較的分かりやすく纏まっているように思いました。また、清朝官吏 任用制度というと満漢偶数官制というものはでてきますが、その仕組みについて、単に満洲人と漢人を半分ずつとしか通常は教わりませんが、その仕組みについ てもよく分かるような説明になっていました。そして、その中で蒙古旗人がどのような位置づけであったのかも示されていますが、彼らは中国内地で働くことよ りも藩部で働くことを期待される存在であったことが、表や数値で示されると非常によく分かるようになっています。

しかし、2章のモンゴル語の所で、清朝政府の方はモンゴル語習得を「モンゴルの道」としてすすめているのですが、3章を読むと、蒙古旗人自身は言語よりも 宗教と出自を「モンゴル」意識の支えとしているような所があったようです。清朝政府が期待する「モンゴル」らしさと彼ら自身の「モンゴル」意識にずれがあ るように読んでいて感じたのですが、そう言う部分は帝国統治にはさして影響はなかったのでしょうか。そこの所は何となく気になりました。また、藩部統治に 関わった蒙古旗人のケーススタディのうち、福徳についてはモンゴルの習慣を知っているという彼自身の言葉を信じるとしても、知っていることが即ちそのとお りに振る舞うことと直接結びつくのかどうかははっきり言えないような気もしました(何かを知っているからと言って、その通りに振る舞うとは限らないです し)。

藩部統治のために蒙古旗人の存在が非常に重要であったと言うことが本書の結論ですが、著者自身も最後に書いていますが、あくまでこれは18世紀後半までの 禁旅八旗に属する蒙古旗人の事例であり、19世紀のことや、駐防八旗の蒙古旗人の事例についてはあつかわれていません。これからその辺の研究が進むことを 期待したくなる一冊です。