まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

清水稔「曽國藩」山川出版社(世界史リブレット人)

世界史リブレット人の最新刊は太平天国の鎮圧、洋務運動で知られる曽国藩です。本書は評価が二分するところがある彼について、彼がどのような家庭や社会で育ち、政治の世界や文化面でどのような活動を見せたのかに触れ、太平天国の乱に対し湘軍を編成して激戦を繰り広げた様子と、これを機に政界での影響力を強め洋務運動の初期の段階に関わったことなどをまとめていきます。

曽国藩の家は地主ということになりますが、土地の規模としては100余畝という、古代であれば支配の基本となる小農家レベルというところには驚きました。古代と比べ、農業技術は格段に進歩し、かなり集約的な農業を展開して収益をあげていたようですが、「地主」という言葉でイメージするものとは少し違うような環境ではあります。地元の名士ではあるが決して富裕とは言い難い家であり、篤農、倹約と勤勉を家風とする環境で育ったことは彼の政治活動における立ち居振る舞いや日々の暮らしにも影響を与えていることが示されていきます。

湘軍編成と太平天国との戦いについてもかなりページを割いています。曽国藩は湘軍編成にあたり、身元がしっかりした人々を兵として集め、訓練を施し、給与も正規軍より高給とし規律もきびしくするなどのことを行なっています。地縁・血縁・科挙の同期あるいは門生・私的な恩や義理といった人と人の絆で結ばれた私兵軍団であり、儒教の道徳や人倫を面に出したということが湘軍の特徴として挙げられるようです。

では、この軍を率いた曽国藩の戦いぶりはというと、意外と負けている、しかもかなりの惨敗を喫して危機に晒されたこともあるうえ、曽国藩自身が命を投げ打ち敵陣に切り込もうとして止められることもありました。教科書での太平天国の乱についての記述を見ると随分とあっさりしているのですが、太平天国と湘軍・淮軍など郷勇との激戦の様子が窺える内容となっています。皮肉なのは、乱鎮圧ののち、巨大化した湘軍を解散し、兵士たちを除隊させたのですが、かれらがのちに結社のメンバーとなり、仇教運動の担い手となり曽国藩を苦労させたということです。

洋務運動については、彼自身は初期にしか関わっていないものの、洋務運動の概要についてまとめられています。そして彼も苦労したキリスト教の内地布教にともなう仇教運動の活発化や、日本などとの外交についてもまとめられています。湘軍の編成についてもそうですが、洋務運動において彼は様々な人材を見出して登用し、活躍させていることがしられています。どのような人々が彼に見出され、活躍したのかがわかりやすくまとめられています。

清末の危機の時代、勤勉、倹約、努力を惜しまぬ人柄で生き残っていった彼の生涯をコンパクトにまとめています。