まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

高橋進「ムッソリーニ」山川出版社(世界史リブレット人)

第二次世界大戦の枢軸国を見て比べたとき、敗戦までのプロセス及びその後の状況には色々な違いが見られます。イタリアの場合はレジスタンスが発生したり国際軍事裁判も開かれていないなど、ドイツや日本とはかなり違うところがみられますが、それは一体なぜなのか。ファシズム体制としてまとめられる国々でも、その内部に相違があったり、指導者の資質の違いの影響、国際情勢の影響など様々な要因があるようです。

本書は、ムッソリーニについて、彼の資質や目指したもの、行ったことについてふれ、イタリアのファシズムとはなんだったのかを考えていこうとする一冊です。社会主義思想の浸透と労働運動、農民運動の活発化が見られた時代に社会主義運動に参加していたムッソリーニが、第一次世界大戦の時代に「歴史の主役」となるべく戦争参戦を主張し、その後ファシスト運動を推進して「ローマ進軍」による政権樹立および独裁体制の樹立へと進んでいきます。ファシズムのもとで国民を様々な組織を通じて体制へ組み込んでいく様子や、イタリアの対外膨張路線、そしてドイツとの関係と第二次世界大戦といったこともまとめられています。

独裁確立時点までのムッソリーニは理論より行動に重きを置いており、イタリアでファシズム国家の国家理論構築は独裁体制の後というところがドイツの場合とは随分違うように感じます。このあたり、自分のもとに全てを従わせ、イタリアを偉大な国家・歴史の主役としたいという願望を抱きつつも思うように伸びぬ国力と度重なる敗戦という現実に直面したことが、のちにドイツに従属するような方向へと向かっていってしまうことにも影響しているのかなという気がしました。

イタリアがドイツや日本と違う点がいくつか列挙されていましたが、ムッソリーニが唯一絶対の権威ではなく、彼を途中で解任したのちに連合国の「共同参戦国」となったこと、自らの手でイタリアを解放する形をつくりムッソリーニを自らの手で裁き処刑したということは戦後のイタリアが描いた「自画像」に大きな影響を与えているように思えます。

フランスの場合、ドイツに占領され、ドイツへの協力を強いられたといった都合の悪いことは忘れ、勇敢にドイツと戦ったレジスタンスに関する記憶を第二次世界大戦に関する集団的記憶として選んでいったことが指摘されています。「ヴィシー症候群」という言葉でそれが語られていますが、イタリアでも似たようなことはあるのではないでしょうか。本書でもイタリアの植民地支配の実態やイタリアの戦争犯罪、戦争責任に関する問題が表に出てきていることが言及されていますが、「過去の克服」をめぐるイタリアの取り組みについて、もう少し踏み込んでみても面白かったかなと思いながら読み終えました。