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森部豊「安禄山 安史の乱を起こした「ソグド人」」山川出版社(世界史リブレット人)

安禄山というと、でっぷりと太った体格ながら踊りがうまく玄宗皇帝に気に入られて取り立てられたと言う話、その腹に何が入っているのかと皇帝に聞かれ「た だ赤心のみ」と答えたにもかかわらず、後に安禄山の乱を起こしたと言った逸話があります。世界史の教科書などでは、安禄山の乱を起こしたと言うこと、そし てそれが唐の体制の転換のきっかけとなっていったと言うことがふれられています。あくまでも中国史の枠組みの中での理解が中心となっているようです。

本書はそんな安禄山安史の乱を、アッバース革命や北方での遊牧民諸勢力の勃興など大きなうねりが見られた同時代のユーラシアの歴史の中に位置づけようと していきます。安禄山の出自やソグド・ネットワーク、行軍の常駐化と節度使の出現、ソグド人、騎馬遊牧民などが混在するハイブリッドな地域としての北中国 の状況と言ったことが触れられています。安禄山がソグド人だけでなく契丹などもその軍の中に取り込んでいった背景をおさえたうえで、安史の乱の位置づけに ついて考察していきます。

本書の見解をかなり簡略にまとめると、ユーラシア大陸全体で見られる人の移動がおこるなか、中国北方でそれが複雑に絡み合い、その結果が「安史の乱」とし て現れてきたようです。なお、安禄山の軍だけでなく唐の軍にも様々な種族がいたことも明らかになっています。しかし安禄山の軍勢を見ると、安禄山の血筋や 仮父子結合と婚姻が様々な民族を彼の元に結集できた要因であり、彼の死後に軍団は崩壊してしまうという弱点も抱えていたと言えます。

そして、文字文化をもち農耕民・都市民を少数の支配者層が安定的に支配する中央ユーラシア型の「征服王朝」の誕生には安禄山の遺産が受けつがれているとい う見方がなされています。安史の乱鎮圧後に置かれた藩鎮のうち、河朔三鎮は半独立状態をとり、安禄山の部下だった者が節度使を務め、さらに文書行政システ ムの構築も進めていきます。それがやがて契丹や沙陀族の国家に受けつがれていったというわけです。

唐王朝の出来事して、中国史の枠組みの中でのみ捉えがちな安禄山について、もっと広い視野から捉えようとした一冊として、面白く読むことができました。世 界の歴史の流れの中で、個別の出来事をどのように位置づけることができるのか、常に考えなくてはいけないことですが、この本もその試みの一環ということで しょう。