まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

ウォルター・テヴィス(小澤身和子訳)「クイーンズ・ギャンビット」新潮社(新潮文庫)

最近ではテレビや映画で最初に流されるのではなく、Netflixなど動画配信サービスからで配信された作品がテレビで放送されたり、アカデミー賞でも候補に挙がってくるなど、ネットでの動画配信が盛んになり、若い世代に関して言うと恐らくネット配信の方が中心であるかのように見えます。

そんなネット配信作品の一つが今回感想を書いている「クイーンズ・ギャンビット」です。ドラマが人気になったことがきっかけで、1983年に書かれた原作小説の方も翻訳が出されることになったという事情は今の時代らしいところです。

物語は1960年代、交通事故で母親を亡くし孤児となったエリザベス(ベス)・ハーモンが孤児院メスーエン・ホームに入るところから始まります。ここでは孤児達にたいしビタミン剤や精神安定剤が配られており、この時与えられた精神安定剤への依存にベスは長年苦しむことになります。しかし、ベスと長い付き合いとなるのは精神安定剤だけではありませんでした。

孤児院の用務員シャイベルからチェスを習い始めたベスは瞬く間に才能を開花かせ、めきめきと成長していきます。身近な大人や高校のチェス部員程度では相手にならないレベルになったベスはウィートリー夫人に引き取られます。それからもチェスの本を入手したり本屋で読んだりして勉強していたベスですが、ケンタッキー州の大会に出ることになり、そこで次々と勝利を重ね、遂に優勝してしまいます。

やがて夫と別れたウィートリー夫人と一緒にベスは各地の大会に参加し、次々と勝利を収め続けます。この頃夫と別れていたウィートリー夫人に連れられる形でベスは参加した数々の大会で優勝して、天才少女として名をはせるようになっていきます。ウィートリー夫人とベスの関係ですが、彼女はいわゆる「ステージママ」という感じではなく、かといってベスに無関心という感じでも無く、ほどほどにうまく付き合い、支え合うという感じを受けました。

一方、夫と別れた後酒量が増えてきたウィートリー夫人と一緒にいるなかでベスは10代にして飲酒を覚え、精神安定剤のみならずアルコール依存にも苦しみながら、彼女はチェスの世界で活躍を続け、遂に当時最強の棋士だったソ連のボルゴフとの勝負に臨む事になります。果たして勝負の行方はいかに、という物語です。

本書の舞台となるのは主に1960年代、まだまだ男女の差別が色濃く残った時代です。チェスで彼女と戦うとき露骨に敵意をむき出しにしたりなめた態度をとり、敗れると腹を立てる男性棋士の姿が見られますが、その辺りは女のくせにという意識が現れているようです。さらに、天才少女として取材を受ける際の紋切り型の質問のオンパレードに見られるように、チェスは男の世界のような認識は女性側にもあるようです。こうしたほとんどが男というチェスの世界に飛び込み、勝利を重ね頂点を目指すベスの姿に惹かれる人は多いでしょう。

また、女性キャラクターに協力的な男性が登場する場合、結局男性の助けがないとうまくいかないというパターンが色々な作品でみられます。本作でも、読んでいる途中でそういう展開になるのかなと思わされる所があり、ベスが頂点を目指す過程で、彼女にこてんぱんにやられた後、彼女の協力者となる男性チェス棋士が複数登場します。しかし、本書で見られるのはベスが彼らの助けがなくしては勝てないと言う描かれ方ではなく、彼らの協力をうけつつ、彼らを遙かに超える能力を身につけ自ら道を切り開きより高みに登っていく展開であり、その最たるものが、ボルゴフとの3度目の決戦の終盤でしょう。

本書ではベスに関わった様々な女性達が描かれていますが、この中でウィートリー夫人と並んで重要なのは孤児院時代に知りあった黒人のジョリーンでしょう。彼女とベスは仲が良かったものの、ある出来事(これがベスにとっての性の目覚めだとすると少々酷なような)がきっかけで疎遠になり、ベスが養子に取られた時点で一度わかれたものの、物語の終盤、危うい状態に陥っていたベスの助けとなると言う、重要なキャラクターとなっています。

黒人と言うことで苦労を強いられながら大学で学び修士課程に進み道を開こうとするジョリーン、チェスの世界に飛び込み頂点を目指すベス、どちらも自らの手で道を切り開かんとする女性として書かれているように感じました。物語の結末は、ベスが自らの手で運命を切り開き、決して楽な道ではないけれども頂点に至る道をしっかり見据え、希望に満ちた終わり方となっています。著者はこの作品を書いた翌年に死去してしまったため、この後の展開については分からないのですが、続編を造るとしたらどういう展開になっていたのか、非常に興味深いです。

主人公がふとしたことから才能を開花させ、困難に立ち向かいながら道を切り開いていくという展開は少年漫画などでもよく見られる展開ですが、それを女性を主人公とし、男の助けに頼り切ることなく自らの手で運命を切り開いていく物語として描き出したことに大きな価値があると思います。実は本作のドラマ版についてはウェブ上で検索をかけ、話の展開などに触れたサイトをみたのですが、21世紀に造られたドラマ版よりも1983年の小説の方がはるかに思い切った展開を見せているという所が興味深いです。ドラマで興味を持った人はもちろん、本書をたまたま書店で見かけた人も是非読んで欲しいです(実は私は表紙の眼力にやられて手に取ってしまいました、恥ずかしながら、、、)。