まずはこの辺は読んでみよう

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キム・イファン、パク・エジン、パク・ハル、イ・ソヨン、チョン・ミョンソプ(吉良佳奈江訳)「蒸気駆動の男」早川書房

スチームパンク」というと、内燃機関が存在せず蒸気機関により様々なものが動く世界を舞台に展開されるSFのジャンルということで理解していいのかと思います。イギリスのヴィクトリア朝なんかがよく出てくるところでしょうか。しかし本書では蒸気機関により動くものが朝鮮王朝の建国の時点で既に関わっている、そして蒸気機関が王朝の社会生活や政争にも大きく影響を与えているという設定で世界が構築されています。

5人の作家の短編集であり、掲載された作品は全て異なる時代ではありますが、この全てにその名前が登場したり姿を現すのが汽機人(蒸気機関で動く人造人間とでも言えば良いでしょうか)の都老と言うキャラクターです。

収録されている作品は、終盤に蒸気機関搭載パワードスーツを用いて女性が大活躍する「朴氏夫人伝」、奴婢として生まれ,奴婢の主人公が汽機人の技術のおかげでいつのまにかに主人との関係に変化が生じ境遇がかわっていた「君子の道」、中宗没後の時期に設定された疑獄事件の真相はいかにという感じの「蒸気の獄」、蠱毒の呪いに関して調べていた主人公が思わぬ形で悲惨な結末を迎える「魘魅蠱毒」、そして朱子学の価値観をインストールされ一切の忖度無く働く王の側近(実は汽機人)が儒家の思想では割り切れない感情を知った途端バグを起こす「知申事の蒸気」の5本です。

何れも朝鮮王朝時代を舞台とした話ですが、蒸気機関をめぐり疑獄事件も発生するなど、両班たちのあいだではこれを抑えようと言う意見が結構出てきます。蒸気機関を使えば便利になりよいことずくめにも思えますが、これを庶民に使わせると彼らが力を持ってしまい良くないのではと懸念する声もあれば、女真や日本にこれが知られると脅威となるといった声もあると言う具合です。

この時代の身分制や男女の性別役割などの制約の下で、蒸気技術は支配される側の人々が用いており、支配する側はそれを抑えようとしている場面が結構目につきます。支配する側の両班層たちは、既存の社会の仕組みや朝鮮王朝を取り巻く国際関係を変動させるような事態は何としても避け、今ある社会を維持し自分たちの地位を保っていくこと,それを何よりも優先しているようにも思えます。

朝鮮王朝時代に蒸気機関がもたらされていたらどうなるのかというアイデアが非常に面白い一冊です。5つの物語の後には年表形式のまとめがあり、色々な時期に蒸気で動くものが現れ、用いられていると言う展開になっています。この年表部分もなかなか興味深い内容です。年表の最後が大院君による鎖国政策なのですが、このようなことが実際に出来ていたらどうなったのでしょう。