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しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

カルロス・バルマセーダ(柳原孝敦訳)「ブエノスアイレス食堂」白水社

人間が生きるうえで、食べることは欠かすことのできない行為です。しかし、単に栄養を補給するというだけでなく、より美味しい食を追求しようとする執念 が、様々な食材の採用、料理技法の開発、そして饗し方の工夫などをもたらしてきました。そして食にかんする歴史は古代から現代に至るまで連綿と受けつがれ て今に至っています。

イタリアからアルゼンチンへとやってきたカリオストロ兄弟がホテルの厨房でマッシモ・ロンブローゾより様々な食にかんする歴史や技術を教わり、一冊の料理書「南海の料理指南書」を書き上げ、1911年(今から100年前ですね)にブエノスアイレス食堂を開きます。

そして食堂は双子の親戚シアンカリーニ家に引き継がれ、さらにロンブローゾの一族も関わり、Uボートのコックだったドイツ人の料理人ベッカーも加わり、第 一次大戦や第二次大戦、そしてアルゼンチンの歴史に翻弄されながらつづけられます。食堂と美食の系譜は一度途絶えますが、食堂を再開した夫婦が引き取った 孤児セサル・ロンブローソが「南海の料理指南書」を手に取り再び歴史がつなげられていきます。しかし、美食の歴史の継続と同時に、彼が最初に食した「も の」に惹かれたためか、すこしずつ狂った方向へと向かっていくことになります。

世界の各地に、古くから積み重ねられてきた食の歴史がありますが、人やモノの移動にともない、様々な食の歴史があわさり、あらたな食の歴史が生まれるとい うことになります。かつてヨーロッパになかったトマトがいまやイタリア料理には欠かせない物になっていたり、ジャガイモがドイツやアイルランドでは不可欠 な食材となったりといったものから、和食の技法がよそでもとりいれられたり(よその技法を和食でも採用したりします)、様々な変化をみせています。

本書ではマッシモ・ロンブローゾからアピキウスなど古代より始まる美食の歴史を学んだカリオストロ兄弟が独自のレシピを次々と開発し、「南海の料理指南 書」を著し、ブエノスアイレス食堂を開いて様々な料理を饗していきます。その後、シアンカリーニ家が関わるようになり、そこにカリオストロ兄弟に色々教え た当の本人マッシモ・ロンブローゾまで加わり、さらなる発展を見せます。その後ドイツ人ベッカーも加わり、ロンブローゾ一族を悲劇が襲った後はまた違う系 統の料理を提供して変化をもたらします。一端途絶えたブエノスアイレス食堂の美食の歴史は、セサル・ロンブローソのもとでその復活がはかられる一方で、一 線を越えた料理まで饗されるようになります。

創設者カリオストロ兄弟をはじめ、この食堂に関わった人々の多くが大変な人生をたどることになるのですが、食材の追求、技法の探求を関係する人々が積み重 ねるなかで、ブエノスアイレス食堂は、いにしえより積み重ねられた西洋の美食の歴史のみ鳴らず、関わった人々の人生を飲み込みながら新たな料理を生み出し ていく、一匹の怪物のような感じがします。

ブエノスアイレス食堂が開かれて以来、美食を求めてやってくる人々の中には味が分かっている人もいれば、単に有名店で食べるということにステイタスを感じ ているだけの人もいると思われます。物語の終盤、セサルが供する「究極のメニュー」を、食堂の評判を聞きつけて集まってくる様々な人々は喜んで食べていま すが、それをセサルはどのような気持ち出見ていたのか、何となく気になります。どんな物でも食わせることができる己の技に酔っていたのか、それとも訳も分 からず喜んで食べる客を見て暗い喜びを感じていたのか…。

そして、物語の結末ですが、行き着くところまで行ってしまったセサルにはあのような最期がふさわしいでしょう。そして、ブエノスアイレス食堂の歴史も、恐 らくこれで本当に終わることになるのかもしれません。しかし、人が美食を求め続ける限り、第二、第三のブエノスアイレス食堂が作られるとは思いますが。

最後になりますが、食をあつかった本だけに、色々なメニューが取り上げられています。終盤のセサルが作る「究極のメニュー」はちょっと食べる気がしません が、それ以外のメニューは実に美味しそうです。腕に覚えのある方は作ってみてはどうでしょう。個人的にはルドビーコ・カリオストロのつくった「ルドビー ゴ・ソース」は食べてみたいですね。鮭と筋子、すきですし。