まずはこの辺は読んでみよう

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五十嵐修「王国・教会・帝国 カール大帝期の王権と国家」知泉書館

中世ヨーロッパ史において、カール大帝は西ヨーロッパ世界の成立にも深く関わる、非常に重要な人物の一人です。しかしその割には彼を扱った本は数が少なく、その少ない本も絶版となっているというのが現状でした。

本書は、かつて講談社選書メチエカール大帝についての本を書いた著者の博論をベースにしたものです(なお、著者は2009年にお亡くなりになっていま す…)。構成としては、フランク王国の成立からカロリング家の台頭とカロリング朝の成立までをあつかった第1部と、カール大帝の治世を扱った第2部からな り、年代順に章立て・記述が進められていきます。年代順で進んでいくという構成のためなのかもしれませんが、専門書のわりに読み進めやすくなっていると思 います。以下、なんとなく興味を持ったことを適当にまとめていくことにします。

本書では、まず、ローマ教皇ランゴバルド王国、ビザンツ帝国フランク王国の複雑な関係がまとめられています。単純にローマ教皇と緊密な関係を築きあげ ていったとは言い難いということが、当時の周辺情勢や宮廷内部の事情とからめて説明されています。また、ビザンツに対して強烈な対抗意識が芽生えてゆき、 そのことがやがてカールの戴冠につながっていくと言うことがまとめられています。

また、カール大帝の統治の転換期は789年、802年にあるということが主張されています。それ以前より、カールは度々勅令を発して統治の方針を示しては いましたが、789年は「一般訓令」により国家理念の基本方針を定め、フランク王国の臣民たちをキリスト教というアイデンティティを与えようとし、さらに 旧約聖書にならった宗教共同体としての国家建設の推進を宣言し(カロリング・ルネサンスもこの流れの中に位置づけられるようです)、さらに一般臣民宣誓に よりにより国王と臣民の結びつきの強化や反乱の防止が試みられた年で、これが一つの転換点となっていたようです。さらに802年は膨張政策をやめて巡察使 制度の改革や文書行政の推進など法治国家としての内実を与えようとしたという点で、転換点であったというこことが述べられています。

さらに、ローマ教皇によって戴冠され、皇帝となったことの意味についても色々と考察がなされています。教科書的には、カールの戴冠により西ローマ帝国が復 活、ローマ・キリスト教・ゲルマンの3要素をもつ西ヨーロッパ世界の成立と言うことが言われています。しかしカールの皇帝戴冠は、正統信仰の擁護者とし て、ビザンツ帝国と張り合ううえで皇帝戴冠は必要ではあるが、ローマ教皇の政治構想(教皇が頂点で中心にくる)に取り込まれるのは避けたいというかなり面 倒な状況下で、「同床異夢」のような形で実現されたものであり、カールの戴冠によりできた「帝国」は、「西ローマ帝国」とか「ローマ帝国」と呼べるような ものではなく、自らを「西ローマ帝国」とするつもりも無かったことが示されています。

巻末にはカール大帝の宮廷の主要人物、出した勅令、王国会議の一覧などがついています。以上、本書の内容を一部かいつまんでちょこっとまとめてみました が、カールの戴冠のもつ意味等々で教科書的な歴史とは違うものに触れることができます。もちろん、フランク王国の歴史についてこの本だけですべてがカバー されているわけではないと思うので、これだけを読んですべて分かったつもりにはならない方がよいと思いますが、カール大帝期のフランク王国についてはかな りの部分を押さえられるのではないでしょうか(著者の別の本はこれを一般向けにしたような内容です)。また、専門書としては比較的読みやすい一冊だと思い ます。

その他、本編とは全く関係ないことを一つ。フランク王国ビザンツに対して対抗意識を持つようになり、これを激しく攻撃・非難するようなことがおこり、公 表はされなかったものの「カールの書」というかなり激烈な文書を作成するにまで至っているのですが、そこまで行ってしまった原因が崇拝と崇敬の誤訳にあっ たということを知り、カロリング・ルネサンスの件とあわせて、言葉を正しく使うことの大切さを改めて認識させられました。