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松森奈津子「野蛮から秩序へ インディアス問題とサラマンカ学派」名古屋大学出版会

大航海時代のスペインが新大陸への支配を進めようとする過程で、スペインによるインディアス占有の是非が問題となり、「インディアス問題」と呼ばれる問題 が発生しました。また、この時代はヨーロッパにおいて主権国家体制が確立していく時期であり、立憲主義絶対主義につながっていく近代政治思想の展開上重 要な時期でもあります。

その頃、スペインではインディアス問題について考察した「サラマンカ学派」と呼ばれる知識人の一群がいました。彼らはスペインによるインディアス統治の是 非や、国家や世界の秩序についての議論を積み重ねていきましたが、本書では、インディアス問題についての議論を通じて、マキアヴェリホッブズ、ボダンと 言った人々に連なるいわゆる近代政治思想とは違う別の国家論が展開されていったことを示そうとします。

その際、インディオへの認識、支配の正当性、征服戦争の是非といったインディアス問題を巡る3つの論点を取り上げ、それぞれについて、サラマンカ学派およ びセプルベダとラス=カサスがどのように論じてきたのかをまとめていきます。そして、サラマンカ学派の近代政治思想上の意義としては、非ヨーロッパ世界も 視野に入れることによって、主権国家体制を支える諸々の思想とは異なる国家観を打ち立てたと言うところをみているようです。政治権力は神に由来するが、国 家の自律性を明確に打ち出し、教会権力が関与できる領域・機会を制限し、すべての人間の平等性を説き、君主も法に拘束される立憲主義的な国家を構想し(た だし抵抗権は認めない)、国家は公共善を志向する、それがサラマンカ学派の提示した国家論です。

インディアス問題に関するサラマンカ学派の見解ですが、ラス=カサスほどはラディカルではなく(ラス=カサスはスペインによる支配の正当性も否定しま す)、かといってセプルベダのように露骨なものでもない見方をしています。インディオは子供と同じような未熟な存在であり、彼らに対するスペインの支配の 正当性は万民法に基づき認められる、そして征服戦争は正当な権威と名目の元で開始されたが、正当に遂行されているとは言い難い、このような形でインディア ス問題をとらえています。彼らもなお西洋中心的な物の見方からは逃れられなかったようです。

本書では、16世紀スペインの政治思想について、インディアス問題を取り上げつつ考えていこうとしています。スペインの思想家というとラス=カサス、あと はせいぜいセプルベダ辺りくらいしか知られていないのではないかとおもわれます。そのため、「サラマンカ学派」というものが存在すること自体を知らないと いう人がいると思いますし、私も知りませんでした。そのような人間からすると、かなり難しかったですが、なかなか刺激的な内容でした。

また、彼らがインディアス問題を通じて、近代政治思想の他の思想家達と異なり未開世界も視野に入れた世界秩序を構想したことなど、いままでヨーロッパにお ける国家論や政治思想では滅多に触れられてこなかった(少なくとも一般書ではまず無い)サラマンカ学派の思想はなかなか興味深いものがあります。近代政治 思想の主流(となっている流れ)からは外れたところで、ヨーロッパ以外の世界も視野に治めながら世界秩序について考えている人々がいたと言うことに、最初 読んだときに強い印象を受ける人は多いのではないでしょうか。

現代の人間の目から見ると、これもやはり西洋中心的だとおもう部分はありますが、従来の主権国家体制を支えた思想とはまた別の物に接することは意味がある と思います。反対に、なぜこちらの思想があまり脚光を浴びることなく来たのかということを考える必要もあるかもしれません。物事の取捨選択において、ある 物を選択したりしなかったりするという決定は偶然そうなったからということもあるかもしれませんが、単なる偶然ではない何かがあるかもしれない、この件に 関してはそのような気がしてなりません。