まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

コンスタンチン・サルキソフ(鈴木 康雄訳)「もうひとつの日露戦争 」朝日新聞出版

*投稿しようとしたところ、タイトルが長すぎると言うことで短くしました。正式タイトルは「もうひとつの日露戦争 新発見・バルチック艦隊提督の手紙から」です。

今年の秋からスペシャルドラマとして「坂の上の雲」がNHKで放映されます。日露戦争で活躍した秋山兄弟を主人公とした話で、クライマックスは当然バル チック艦隊を東郷平八郎率いる連合艦隊が撃破した日本海海戦になるようです。日露戦争開戦から100年後、東郷平八郎と闘ったバルチック艦隊を率いた司令 長官ロジェストヴェンスキーが妻と娘に宛てたプライベートな手紙が発見されました。その手紙をもとに200日にわたる大航海の様子を描き出していきます。

手紙に入る前の部分は日露戦争勃発前の日露関係(皇太子ニコライの訪日と大津事件の発生、義和団事件以降の日露の対立、開戦直前の頃の外交交渉)、日露戦 争勃発時のロシアの戦争構想(秀吉の朝鮮出兵構想並にむちゃくちゃなものですが、結構真剣に検討していたらしい)、そんな物がまとめられている部分と、ロ ジェトヴェンスキーの人柄について(否定的な人と肯定的な人がいますが、自分がこうやると決めたら徹底してやる人なんだろうなという想像はつきます)、そ ういった内容が含まれています。

“新事実”というよりも、ロジェストヴェンスキーからみたらこう見えていたんだろうなと言うことが手紙には書かれていました。それは部下から見たらまた 違った見え方がしただろうし、そこのところで否定的な評価もされたのだろうなという気がします。長旅の疲れ、なれぬ気候(熱帯性気候のところにも行ってい ます)、そう言ったものが重なっているところでロジェストヴェンスキーが厳格に兵士を統率しようとしたようで、それがロジェストヴェンスキーに対する否定 的評価にも影響しているような気がします。

しかし、そんななかで個人的に興味深かったのは、バルチック艦隊スエズ運河を通らずに喜望峰経由で回ったのは、ロジェストヴェンスキー自身の判断に寄る ところが大きかったということです。スエズ運河を行けば確かに距離は短くなるけれど、バルチック艦隊は過積載という問題を抱えており、その荷物の積み卸し と再度の積み込みの手間を考えると喜望峰を回った方がましということから、ロジェストヴェンスキーは本隊を喜望峰経由、分遣隊をスエズ運河経由にして合流 するプランを立てて実行したというのが真相のようです。よく、日英同盟を結んでいたから、イギリスはスエズ運河の通行を許さなかったというような説明がな されていますが、どうもそうではないようですね。

それにしても、性能がばらばらな船の寄せ集めで、練度・士気も決して高いとはいえず、故障が頻発したり補給に苦労するような状況で、よく極東まで行けたな と言うのが正直な感想です。ぼろぼろの艦隊を率い、本国からはまともな支援もなく、いい加減な情報が本国に伝達され帰って事態が悪化したり(本国から新し い船を送るから待てという指令を出されたりしています…)、ロシア第一革命が勃発し本国が不穏な状態にあるうえ、彼個人を取り巻く状況としても、ろくでも ない部下、遠く離れた状況で嫉妬する妻(しかもロシア第一革命に際しては反政府でもを支持するような公開書簡を発表してしまったりする…)、と言った具合 ですから、ロジェストヴェンスキーの心中は穏やかではなかったでしょう。

こんななかで任務を完全に遂行できていたら、「アナバシス」のクセノフォンのような形で彼の名前が残ったかもしれず(困難な状況下で艦隊を統率し、無事に ウラジヴォストークまでたどり着けたらそれは偉業と言っても良かったかもしれません)、一本の映画が作れそうな気がします。残念ながら、現実はそう甘くは なく、対馬海峡で連合艦隊に敗れてバルチック艦隊は壊滅、彼自身も捕虜となり、敗戦の責任まで負わされるというかなり悲惨な結末を迎えてしまったわけです が。

ロジェストヴェンスキーの手紙の内容もさることながら、この手紙が公開に至るまでの彼の一族のたどった道はきわめて困難なものだったでしょう。革命が起 こって彼の一族はロシアから亡命することになり、各地を転々とすることになりますが、そんな中でも手紙を手放すことなく、その存在が公の物となる2005 年まで大事に保存し続けたという事の方にもドラマを感じます。