まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

澤田典子「アレクサンドロス大王 今に生きつづける「偉大なる王」」山川出版社(世界史リブレット人)

山川出版社から刊行が開始された「世界史リブレット人」シリーズ第1回配本はアレクサンドロス大王バーブル、ビスマルク孔子カール大帝の5冊でし た。アレクサンドロス大王については、これまでも数多くの伝記が出版されているため、この本は果たしてどこに力点を置いているのか、そこに注目して読んで みました。

このシリーズは一冊あたり100頁弱というコンパクトな本ですが、伝記として生涯を順に追っているのではなく、彼の生涯自体は最初の章で簡潔にまとめられ ています。それ以後は彼にかんするトピックごとに章をわけていますが、この本で力点を置かれているのは父王フィリポス2世との関係、そして後の時代におい て彼がどのように語られ、描かれてきたのかというところです。

簡単に生涯をまとめた後で展開される2つの主題のうち、父王フィリポス2世との関係については、アレクサンドロス東方遠征で赫々たる戦果を挙げることが できたのは父が地中海世界において当時発展していた様々な軍事技術や戦術をとりいれて作り上げたギリシア世界(あるいは地中海世界全体)で最強の軍隊を引 き継いでいたこと、そして東方遠征そのものも父が既に計画しており、アレクサンドロスは父親の暗殺によりそれを引き継ぐことになったということを指摘して います。そして、フィリッポスこそアレクサンドロスにとり乗り越えなくてはならない最大のライバルだったとみています。

アレクサンドロスの軍事的才能は、近年増えてきている彼を否定的に見る人々も認めている資質ですが、それを発揮する事ができたのは父親が残してくれた軍隊 があればこそだったといえます。フィリポスの業績を高くみてアレクサンドロスの偉業はそれのおかげで成し遂げられたと見る視点は古代世界でもポリュビオス などに見られます。そして本書において指摘されていることですが、アレクサンドロスインダス川を越えて遠征を続行しようとしたことや、「ゼウスの子」と して認めさせようとしたこと、そして神格化にまつわる問題は父親を越えようとすることと関係があるようです。映画「アレキサンダー」でも後半、ちらちらと フィリポスの幻影はアレクサンドロスの目の前に現れますが、常に父親の業績を意識し、それを越えようとしていたという最近の研究の流れを映画の中にも取り 込んでみたのかもしれません。

次に、大王の描かれ方ということについても重点的にまとめています。アレクサンドロスは生前よりすでに英雄としての自分の姿をのこすことに気を配ってお り、生前より少し伝説めいた存在となりつつありましたが、そんな彼が「大王」として語り継がれるようになるきっかけはディアドコイ戦争の際に後継諸将が大 王との結びつきや大王の権威をりようしたことにあるという指摘がなされています。そして世界各地でアレクサンドロスは様々なイメージを持って語られていっ たことがしめされています。ササン朝では悪魔扱いだったアレクサンドロスイスラム世界では理想的な君主、哲人王、聖人のごとく扱われ、中世ヨーロッパで は騎士の鏡とされたり、「アレクサンドロスロマンス」という奇妙な冒険譚が語られたりしています。また軍人や君主にとってはアレクサンドロスは模倣すべ きモデル、理想の人物であり、洋の東西を問わず彼のマネをする者は多くいたこと、彼の足跡をたどろうとする人物もいたことがまとめられています。

そして歴史研究の題材としてもアレクサンドロスは様々な像が描かれ、東西融合の理想を抱く英雄という見方から、彼の諸政策をその局面ごとに考えていくミニ マリストの視点、さらにそこからやや勇み足気味にアレクサンドロスに否定的・批判的な傾向を強めた視点などがあることもしめされています。その他、大昔の 映画と2004年の映画「アレキサンダー」の違う所(私も「アレキサンダー」はミニマリスト的研究の流れの中から生まれた作品といえるとはおもいます。映 画としての出来や面白さとはまた別の話ですが。)、現代のマケドニア問題との関係などにも触れていきます。ギリシャ共和国と旧ユーゴ・マケドニア共和国の 間で、アレクサンドロスとのつながりや絆、マケドニアの歴史を独占しようという動きがあること、西洋古代史研究者のなかにこの問題についてギリシャ側に たってオバマ大統領に書簡をおくって抗議した人達が少なからずいたことなどがのべられています。個人的には、そんな動きに荷担した学者って一体何考えてる のかと思う所もあるのですが…。古代と現代ってそんな簡単に結びつけていいんだろうかと思わなかったのか。

よんでいてふと思ったのですが、父を越えると言うことについて、東征の最中よりアレクサンドロスが東方系の兵士達を東征軍に多く入れるようになったこと、 さらに東征から帰還した頃マケドニア式の訓練を施した東方系兵士3万が合流したこと、マケドニア人将兵と現地女性の間に生まれた子供についてマケドニア式 に鍛えることを約束したことなども「父越え」のための一環だったのではないかという気がします。

まず、本書でも指摘されていましたがマケドニア軍将兵はフィリポスによって鍛え上げられ強大化してきたことから、彼との結びつきを強く持ち、フィリポス時 代をよき時代と捉え、それと異なることを否定的に見るところがあったようです。東征の最中にアレクサンドロスはそれに苦慮している一面もみられ、クレイト ス刺殺事件はアレクサンドロスマケドニア将兵の微妙な関係の表れといえるようです。東征を進め、帰還してから、「フィリポスの軍隊」であるマケドニア将 兵とちがう、「アレクサンドロスの軍隊」をつくりだし、それを率いてさらなる征服を続けて父王を乗り越えようとした、そのために東方系住民を軍に組み込む などのことを行ったのかもしれません。

また、アレクサンドロスと父親フィリポス2世の評価の変遷についてもなかなか興味深い指摘がありました。現在、一般的な評価としてはフィリッポスはアレク サンドロスの陰に隠れてしまっていますが、そのような傾向が現れてきたのは帝政ローマの途中からとみてよいようです。プルタルコスなどがアレクサンドロス を英雄として高く評価するようになり、それまでそれ程差がない(むしろフィリポスの評価がそれなりに高い)両者の立場が一変し、フィリポスは息子の陰に隠 れてしまうことになったということも触れられています。それと関連して、最近のマケドニア史・アレクサンドロス研究ではまたフィリポスに対する評価が高ま り、その一方でアレクサンドロスに対し否定的な評価がなされることもあるようです。人物の評価は時代によって、また視点を変えることによってかなり大きく 変わっていくということの一例ではないでしょうか。

さらに指摘されていることとして、彼が東征から帰還した後何をしようとしたのかは分からず、あまりにも色々な部分が欠落しているため、そこを埋めるために 人々は色々なことを想像し、自分の抱いているイメージを彼に仮託していると言ったことも挙げられていました。アレクサンドロスについて様々な人が色々なイ メージを持って語り、描いているのは、彼の成し遂げようとしたことのスケールの大きさと、それがほぼ未完成なまま放置され消えていった事が関係しているの だと思います。

そして、広大な領土を征服した後でそれをどう支配するのかを考えて実行する前に死去したアレクサンドロスについて人々が色々と語っている様子をみている と、スケールは違うけれど、何か大きな事を成し遂げている途中で死んだために汚い物・嫌な物を見ずにすんだというところでは、坂本龍馬が人々に好かれてい るのと似たような感じがします。後継諸将や大久保利通らのような境遇に置かれたときに彼らがどう対応したのかは正直なところ未知数ですし、実際にあったこ とより事態が良い方向に行ったとは言い切れないのですが、あの人がいたら良かったのにという期待を抱かせる存在ではあるのでしょう。

本書は100頁弱という分量でアレクサンドロスの生涯についてまとめつつ、大王と父の関係、大王の描かれ方といったテーマに重点を置いてまとめています が、なかなか読みやすく面白い一冊でした。アレクサンドロス大王について知りたいなら、まずこれをよむと彼の生涯について大体のことをおさえられますし、 そのうえで一寸違う視点からみるということもできて良いと思います。