まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

大戸千之「歴史と事実」京都大学学術出版会

歴史学に対するポストモダンの立場からの批判が一時期流行っていたことがあります。史料に基づき客観的な事実を取り出して過去の出来事を描き出し、それを 私たちに伝え、更新するということが歴史学として行われてきたことです。それに対し歴史はそれぞれの歴史家が過去についての見方を語った物語である、客観 的な歴史叙述など無理である、等々の批判をしたのがポストモダニズムの立場に立つ、それに影響された人々でした。これに対し歴史学者からの反論もありまし たが、議論がかみ合わないままなんとなく沈静化しているというのが日本の現在の状況でしょう。

そのような状況下で、著者は、まず「歴史を書く」とはどういう行為であったのか、それを古代ギリシアの歴史叙述を探求することで考えていこうとします。そ の前段階として、著者は「歴史を書く」ことと「歴史を記録する」ことの間に明確な差を見いだします。「歴史を書く」行為に対しては「書く人間の主体的な問 題意識と判断に立った説明」が見いだされるということ、そして「とらわれない発想と自由な追求、そして人間中心の考察姿勢」が重要であるという立場に立っ ています。こうした点から、神の意志の確認(旧約聖書)や王の事績の記録とは一線を画するものであるという姿勢をとっています。

そのうえで、古代ギリシアにおける歴史叙述のあゆみを神話・叙事詩が歴史として信じられていたホメロスから、そうした物への懐疑が見えるヘシオドス、イオ ニア自然哲学、ヘカタオイオスの著作などの登場といったあたりからはじめます。そしてヘロドトス、トゥキュディデス、ポリュビオスの3人をとりあげ、彼ら の歴史叙述をそれぞれ検討しながら、「歴史を書く」ということの変遷を追っていきます。

かいつまんでまとめると、神話や叙事詩の語りの伝統を残しつつも同時代の情報を吟味・選択して批判的にその内容を摂取し叙述したヘロドトス、あくまで事実 を重んじる姿勢で同時代の情報を集め正確さに留意しながら彼自身の解釈に基づく構想のもとで歴史を叙述し人間の真実に迫ろうとしたトゥキュディデス、正確 な事実へのこだわりと実地経験に裏打ちされた判断と洞察の必要性にもとづき実用性のある歴史書を書こうとしたポリュビオス、だいたいこのようにまとめられ ると思いいます。

その後の章ではギリシアの歴史観を「循環史観」としてとらえる事の是非、ランケ以後の近代歴史学の展開、歴史とフィクションの関係と言ったことに触れ、そ のうえで、著者としての結論は「「ありのままの事実を語る」とは、もともと「根拠のない作りごとは語らない」という意味であり、「史料的な裏づけをしなが ら語る」というのが本意であった」というところに落ち着くようです。

既にトゥキュディデスの時代のソフィストの中に、いまのポストモダンによる歴史学批判を彷彿とさせる文言が登場しています。歴史を書くと言う行為をめぐ り、人は色々と考えてきているけれど、その決定的な答えはおよそ2400年ほど前のころから出されていない難問であり、これについては恐らくこれから先の 時代も議論され続けることになるのでしょう。

読んで感じたことは、著者がポリュビオスを高く評価するとともに、3人のなかで一番思い入れが深いのではないかということです。訳文に関して他の二人とち がい自らの訳を使うところにも思い入れの深さが窺えますが、他の二人の章と比べポリュビオスの章のほうが、従来こういわれているけれども、それはこういう ことなんだよという著者の解釈を伝えようとする語りが熱を帯びているように感じました。

また「現実に向けての問題をかかげ、歴史的事実のなかに問題の根源を探り、そのうえで何を考えることが重要かを語ろうとする、そのようなギリシアの歴史家 のよき伝統が息づいている」として彼の史書を高く評価していますし、歴史を書く目的(げんじつのせいじにやくだてる)、その方法(正確な事実を伝える)、 方法を身につけるための訓練(実地経験を積む)、そういった彼の歴史叙述の目的や方法論を高く評価しています。いっぽうで、彼の歴史書の問題点(単調で退 屈)についても事実を一生懸命語ろうとするが故にかえってわかりにくくなってしまうと言うところで、シンパシーを抱いている様子も窺えます。

個人的には、「必然」が良く出てくるトュキュディデスに対してポリュビオスでは「運命」が頻出するが、ポリュビオスは現実の正しい認識と事実関係の論理的 解明に徹しつつも運命を認めその力と対峙すべきという姿勢で決して運命論だけではないことが示されているという事に興味を持ちました。「役立つ」というこ とが先に立つと、ついついそれに合わせようとしてしまうということで問題視されますが、どれほど自分では最善を尽くしてもうまくいかないこともある、その ようなときに人がどのように振る舞ったのか、それを知る事で政治に役立てようという彼の執筆姿勢には共感を覚えます。実は昔ポリュビオスは邦訳をちょこっ と読んだことがあったのですが、意外と自分としては面白く読めた(すみません、トゥキュディデスよりとっつきやすかったです…)のは、こういうことが関係 していたのかもしれません。これもベストに入れたかったけど、その前に10冊選んでしまったからなあ…。

(追記:2013年7月1日)
うちのブログよりもしっかりした書評を発見。こちらを読んだ方が良く分かるような気がする。