まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

オルハン・パムク(宮下遼訳)「わたしの名は赤」早川書房(ハヤカワepi文庫)

本当は7月に読み終わったので、7月のお薦めに入れるべきなのですが、記事を書く暇が無く8月にアップすることになりました。

ノーベル文学賞受賞作家オルハン・パムクの日本で最初に翻訳された作品がこの「わたしの名は赤(最初に翻訳されたときは「わたしの名は「紅」」という邦題 でした)」でした。その後、パムクの作品は色々と翻訳されていきましたが、翻訳の日本語が少々読みにくいという不満を抱く人も結構いたようです。

そういうこともあったのか、訳者をかえて文庫化したのが今回のヴァージョンです。読んでみると、確かに前に読んだ時と比べて読みやすい日本語になったとは 思います。一方で、パムクの原文自体がかなり独特であるともいわれていて、旧訳ではそれを活かそうとしたのではないかという気もします。原文の雰囲気を伝えるのがよいのか、日 本語として読みやすくするのがよいのか、翻訳物には常についてまわる問題ですが、少しでも多くの人に読んでもらえるほうが裾野は広がるような気がします。

物語は、細密画師「優美」が殺害され、それがどうやら彼も関わっていた細密画が原因であるらしいこと、そして犯人は彼とともに画を描いていた細密画師たち の中にいるようです。その犯人が一体誰なのかを探すパートのほかに、主人公カラとシェキュレの恋愛パートがあり、その合間にオスマン帝国の社会の様子や東 と西の絵画表現の違いと、世界のとらえ方の違いなどが盛りこまれています。

東と西の接点にあり、双方の要素が入り交じるオスマン帝国において絵画の様式をめぐり伝統的な細密画の画法で描こうとする画家たちに西欧の遠近法を取り入 れた新しい画法で画を描かせようとしたことから、今回の殺人が起きたわけですが、画を描くという行為について、イスラム世界と西欧での違いについて、池上 英洋「ルネサンス 歴史と芸術の物語」(光文社新書)を読んでいて、色々と理解しやすい点がありました。ルネサンスの始まる頃に西欧とイスラム世界で、物 を描くということについて、一方はあくまで神の目で見た世界の表現に拘り、もう一方は画家の力でもともとの完全な美を再現する方向を目指す、そこで決定的 な違いが生まれたようです。

画を巡る東西文明の違い、衝突といったものを感じさせる一冊ですが、ストーリー自体はかなり単純なほうだと思われます。しかし、それを様々な視点(それは 人とは限らない)から語って描き出すところは、あたかも細密画の工房で複数の細密画師たちが共同で巨大な画を仕上げてるような感じすら受けます。