「巨匠とマルガリータ」のブルガーコフの中編2つですが、どちらもふとした偶然がきっかけで、それまでの生活が一変していく過程を書いているというところは似ているなと思います。
「悪魔物語」は、主人公がクビになった後、色々なところをたらい回しにされる様子から、ソヴィエトの官僚的な社会を皮肉った作品なんだろうなあと思いなが ら読んでいたのですが、途中からは「オレがあいつで、あいつがオレで、それだったら彼は何者なんだ?」という感じに頭の中がこんがらがってきました。
主人公のコロコトフが自分が自分であることを証明しようとしてもなかなかできないどころか、何か別人にされていたりしますし、彼をクビにしたカリソネルを 特定すると言うことがなかなかできなかったり(短時間でひげが生えたり無くなったりって…)、まるで分身がいるかのようです。多重人格者でもこういう展開 は作れそうだなと思う所はありましたが、このわけが分からなくなっていく感じが面白いなあとおもいます。
「運命の卵」のほうは、妙な光線をたまたま発見してしまった博士が、ソ連をおそった鶏の疫病(まるで鶏インフルみたいですが)、そしてたまたま起きた取り 違えによって、自分の発見が大変な事態を引き起こす(この辺、結構グロテスクな描写も出てきます。ああいう目に遭うのは嫌だなあ…)、それを描いたSFと でも言えばいいかなと思います。最後の方の終わり方が、ああ、なるほど、ロシアだったらこういう展開もありだなあ(歴史的にもそんな感じだし。ナポレオン しかり、ドイツしかり)。