まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

イスマイル・カダレ「誰がドルンチナを連れ戻したか」白水社

ある日の夜、アルバニアの旧家ヴラナイ家へ、娘のドルンチナが戻ってきた。誰に連れてこられたのかと聞かれた彼女は兄コンスタンチンの名を答えたが、彼は3年前に死んでいた…。では一体誰が彼女を連れてきたのか?その謎に警備隊長ストレスが挑む。

死者がよみがえるという普通ならばあり得ない事に対し、ストレスは何とか合理的に事件の解決をはかろうとします。死者が墓場からよみがえり、生前の誓いを 果たすという伝奇物っぽい雰囲気をさせつつミステリーっぽい要素もあるようですが、途中から死者の復活に絡んで教会(カトリック、正教)まで絡んできま す。ストレスに何でも良いから犯人を捕まえろと言ってくるのは、死者の復活はキリスト教にとってはイエスのことですし、コンスタンチンが連れ戻したと認め ることは大問題になってしまう(そして、そこをライバルにつけ込まれる恐れもある)からのようです。

最後のストレスの演説は終盤で友人達が述べたコンスタンチンの考え方を下敷きにしているようで、死んだコンスタンチンが生きているストレスの口を借りて 語っているような感じがします。「アルバニア人意識」とでも言えばいいのか、近代の国民意識のような物が中世にあったのかどうかはさておき、最後の演説で 語られている内容はきわめて近代的な内容だなと感じました。舞台は中世だけれど、一部の人の考え方は近代的ですし。

自分の内的動機に由来する永遠で普遍的な機構を作り出すために「誓い」を重視するとしても、「誓い」から自発的に従う要素が消えていくと「掟」となるのか な、そんな感じがしました。そうなると、この話の中で否定されている法律や諸制度と大差が無くなってしまうような気がします。

この話と表裏一体の構造になっているのが、「砕かれた四月」という作品らしいので、それも読んでみたいと思います。ちょっと調べてみたところ「ビハインド・ザ・サン」とかなり似た感じの話みたいですが。