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井上浩一「ビザンツ 文明の継承と変容」京都大学学術出版会

4世紀末にローマ帝国が東西に分かれた後、コンスタンティノープル(現イスタンブル)を都として1000年間以上続いたビザンツ帝国という国があります。 本書では、ギリシア・ローマの都市文明からどのように変容したのか、そしてビザンツを特徴付ける要素として皇帝・宦官・戦争を取り上げてそれがどのような 物だったのかを明らかにしていきます。

第1部でギリシア・ローマ都市文明からビザンツ帝国になる過程で、どのような文明の変容があったのかを明らかにしていきます。ビザンツ帝国にも都市はあり ますが、古代文明の「ポリス」とは違う皇帝に支配される都市へと変貌し、その景観も大きく変わっていったこと(具体的には、都市域が縮小され城壁が強化さ れ、城塞のような感じになっていった)がまず示されていきます。そして、古代都市文明において行われていた都市の自治が徐々に失われていく過程や、「パン とサーカス」が終焉を迎え、その“化石”が宮廷および首都コンスタンティノープルに保存され細々と行われるようになったことをまとめていきます。

第2部ではビザンツ帝国を特徴付ける要素として皇帝と宦官、そして戦争を取り上げて、それぞれ分析していきます。皇帝専制体制が7世紀から11世紀まで続 き、そこでは「神の代理人」たる皇帝が絶対的な権力を持ち、故に力ずくで排除するしかなかったこと、専制君主の起源はオリエントではなく古代ギリシア・ ローマ文明にあること、そして12世紀には連帯を強めていた貴族層により皇帝権力に掣肘が加えられ、貴族との連合体制に移行したことがまとめられていま す。

次に、「神の代理人」たる皇帝に「皇帝の奴隷」として使えた人々の典型として宦官が取り上げられ、ビザンツ帝国では宦官が多数用いられているのは、初期の キリスト教において宦官が肯定的に扱われていたことと関係があると指摘しつつ、宦官の存在が皇帝専制体制と結びついていたこと、それ故に12世紀以降宦官 の存在が目立たなくなっていくことがまとめられます。

そして、ビザンツ人にとって戦争はどのような物だったのかを扱い、ここでギリシア・ローマ文明および西欧とビザンツの大きな違いが示されていきます。ギリ シア・ローマ文明および西欧と異なり、ビザンツでは戦争は必要悪であり、戦うことを称賛しないという姿勢が見られ、聖戦思想が形成されなかったこと、戦い 方もゲリラ戦、奇襲、不意打ちはもちろん外交交渉や策略も労したこと、そして捕虜交換がイスラーム世界との間でほぼ制度化されていたことなどがまとまって います。

著者がビザンツについて挙げた特徴・傾向として、彼らが市民としての共同体意識や都市への帰属意識と言った物を持たない個人主義(ただし近代的な自我を持 たない)、故に絶対的な権威である神およびその代理人たる皇帝には絶対服従という姿勢をとる権威主義、そして古代文明の要素を形式だけでも残したり、儀式 を重視する姿勢をとる伝統主義、この3つがあります。皇帝や宦官のあり方についてはそれぞれの要素がかなり色濃く現れているように感じられます。ビザンツ 帝国が古代ギリシア・ローマ文明からどのように変容を遂げていったのか、そして西欧とどのように違う文明を築いたのかといったことが物質面・精神面両方か らよく分かる一冊だと思います。

横の連帯を持たぬ人々が皇帝に絶対服従という姿勢をとるところをみると、かつて孫文が「中国人は砂のようだ」といい、なかなかまとまらぬ様子を砂にたとえ て語ったことを思い出します。皇帝に絶対服従するビザンツ人のことを、孫文の言葉をまねて「ビザンツ人は砂のようだ」とでも言えばよいでしょうか。絶対的 な権威に従って生きることは確かに平和でかつ安定した状態を保つことが出来るようですが、安定と引き替えに何を失っていったのか、そこの所を考えていくこ とは今の我々にとっても非常に重要なことでしょう。「よその国の歴史なんか勉強して何か意味あるんですか」って言う人には読ませたいですね。読んだ後、彼 らのことを笑える人は果たしてどれだけいることか…。