まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

塩川伸明「民族とネイション ナショナリズムという難問」岩波書店(岩波新書)

先月読み終わった本であり、その時点で感想を書くべきだったのですが、読み終わった時期が年末だったため、新年にずれ込んでしまいました。

それはさておき、冷戦終結から今に至るまで世界各地で民族紛争は頻発し、時として「民族浄化」と呼ばれる事態が発生することもあります。また、グローバル 化・ボーターレス化が進む一方で拝外主義的ナショナリズムの興隆もみられます。このような時代において、民族主義とかナショナリズム、ネイションとかエス ニシティと言った言葉が頻繁に用いられていますが、その言葉についても人によって色々ずれがあったりするのが現状です。

本書では政治エリートレベルと民衆レベルの両方にまたがる範囲の広い題材を、エスニシティ、民族、ネイション、国民、と言った言葉で表される事柄の関係を整理していき(そのため、言葉の定義から話がスタートします)、理論と歴史の両面から考えていきます。

第1章でまず言葉の定義からスタートし、血縁・言語・宗教・習慣などによるまとまり「エスニシティ」が政治的単位を持つべきという意識を持つと「民族」と なる事、さらに、「国民」と「民族」の間には重なり合いとずれがある事、集団の区切りはきわめて恣意的な物である点が強調されています。

また、各国でネイションやエスニシティを表す言葉の意味のずれ、非常に多様な運動である「ナショナリズム」の様々な類型と「パトリオティズム」との区別に 触れた後、近年の民族問題に関する研究動向に触れ、本書では構築主義的視角を生かしつつ、近代以降を基本的に対象とするという姿勢であることが示されてい ます。

外部から見たら「作られた物」であるナショナリズムは当事者からは「自然な物」として受け入れられている(集団意識は自分が生まれる以前に既に作られているため)、これは重要な指摘であると思います。

第2章から第4章までは歴史的な事例を取り上げながら叙述されていきます。第2章では国民国家の形成をとりあげ、仏、独、伊を取り上げた後で英、さらに露 やオスマン、ハプスブルグと言った旧来からある帝国、そして新世界(合衆国とラテンアメリカ、カナダ、オーストラリア)、東アジアにまでおよびます。ヨー ロッパではネイション形成とエスニシティがある程度つながりがある一方で、新大陸ではそれが分離していること、普遍性の標榜(フランスや合衆国)がナショ ナリズムの原理となると言ったことが触れられています。また、東アジアについては、日本の事例がかなり説明されています。

第3章では民族自決が扱われますが、中東欧における民族自決原理の適用と、自決の主体やマイノリティと言った問題(ポーランドチェコスロヴァキア、ユー ゴスラヴィア野路例を取り上げています)、新興国ソ連の民族政策(アファーマティブアクション的な民族政策・言語政策の実施、擬似的な国民国家形成、ロ シア人の被害者意識など)、第2次大戦後の独立国家誕生、社会主義国の事例を取り上げていきます。

ここでは中東のアラブ諸国の事例とラテンアメリカ中央アジアと比較がなされています。植民者の言語を使うラテンアメリカ、現地人の言語で独自に分化した 民族言語を持つ中央アジア、単一の現地人言語をもつアラブ諸国という違いがナショナリズムにも違いを与えているという指摘が興味深いです。また、社会主義 国でも中国やヴェトナムのように圧倒的多数を占める民族が一つあるばあい、自治区設定のような形で他民族統合を図るという点でソ連やユーゴとは違うことが 示されています。多民族国家と言っても、どれか一つが圧倒的多数を占めている場合と、そうでない場合で違いがあることが具体的に示されているので、分かり やすいです。

第4章は冷戦後の世界を扱い、グローバル化、ボーダーレス化の進む中、近年拝外主義的ナショナリズムが盛り上がったり、新たな国民国家が生まれるなどの動 きをまとめ、民族自決についても、至上の正義から、ある程度相対化されつつあること(それに対するご都合主義という批判は当然ある)、歴史的記憶(過去の 虐殺とか追放、また、ソ連時代の歴史をどうとらえるのかなど)を巡る問題をとりあげます。ある問題では被害者となる民族が、別の点では加害者であることは 歴史的記憶を巡る問題でよく出てきますが、これをどうするのかはこれから考えねばならない問題でしょう。

第5章で「良いナショナリズム」と「悪いナショナリズム」、「シヴィックナショナリズム」と「エスニックナショナリズム」という区分のもつ問題、危険 性について指摘し、さらにナショナリズムと紛争の関係について少し考察していきます。第1章と第5章は比較的抽象的な話題が多くなりますが、第2章から第 4章の事例を読んで、それをある程度頭の中に入れておくと、第5章も少し分かりやすくなると思います。民族紛争に関して、寛容・不寛容というレッテル張り が問題をややこしくすること、「合理的選択」ではない軍事攻勢が特定の場合には発生し、エスカレートする際にはエスニックな対立以外の条件(国家秩序の動 揺、新国家の領域確定)が関係するようです。

以上、本書の内容を適当にまとめてきましたが、民族やナショナリズムを扱った本というと、どうも抽象的な議論が多くて読みにくいという印象を持つ人、実際 に読んでみたけれども抽象的すぎて分からなくなったという人がいると思います。それに対して本書では近代を中心に歴史的な事柄を多く盛り込みながらまとめ ており、それを踏まえてから読むとかなり分かりやすくなっているとおもいます。

また、歴史を扱った一般書というとどうしても西欧、アメリカ合衆国などに偏りがちなところがありましたが、本書では著者が専門としているソ連の事例が扱われていたり、東欧、中央アジアに関する事例も多く盛り込んだり、ラテンアメリカも扱われるなど、
一般向け歴史書としては幅広い地域を扱っているところも良いと思います。サブタイトルに「ナショナリズムという難問」とありますが、特に答えははっきりと 出されているわけではないので、そこに不満を抱く人もいるかもしれません。しかしこの問題について、答えを出していくのは、これから先の時代を生きる人な のではないかと思われます。この本は難問を分かりやすく解くための補助線のような本でしょう。

しかし、歴史的な事例を多く盛り込んだ分かりやすい本だとはいえ、すくなくとも世界史の教科書レベルの知識はあった方が分かりやすいと思います。自分は世 界のことなど知っていなくても良いと思う人もいるかもしれませんし、実際そう言う狭い人もいますが、好む好まざるに関わらず、世界の情勢は色々なところで 影響を与えているわけで、それを理解する上で最低限の世界史の知識くらいは身につけておかないと、本書で書かれていることもあまり分からないでしょう。昨 今、未履修問題などもあり、世界史を軽視する傾向があるようです。受験勉強だけ考えればそれでよいのかもしれませんが、大学はゴールじゃなくてスタートラ インだと言うことを忘れているのではないでしょうか。