まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

高澤紀恵「近世パリに生きる ソシアビリテと秩序」岩波書店(世界歴史選書)

絶対王政というと、かつては貴族とブルジョワジーの調停者として国王が絶対的な権力を握る体制と説明されていましたが、最近では「社団国家」という言葉で説明されることが多くなってきたようです。国民一人一人を把握することは出来ず、貴族や都市、ギルドといった諸団体(社団)が統治に協力することによって成り立つという考え方です。本書では、主権国家フランスにおける王権と都市の関係を、16世紀から18世紀までのパリを舞台として、ソシアビリテ(人と人のつながりのこと)と都市の秩序維持(治安・衛生)の2つに注目しながらかいていきます。

 

近世のパリでは街区や教区を単位とし、その中で近隣住民間の結びつきが非常に強い社会が作られていました。パリの都市民(市民および住民)が夜回りや都市防衛、ゴミ処理など都市衛生、祭礼などを担っていました。また、街区長や民兵隊長といったポストは近隣住民により選出され、その選出を通じて隣人との関係がさらに密接になっていきました。そのような近隣住民のつながりの上に、パリ都市民による自治機構が存在する一方で、王権による機構(シャトレ、パリ総督、高等法院)もパリに存在しており、多元的なしくみになっていました。

 

本書では16世紀から始まり18世紀までを扱っていきます。その間フランス史ではイタリア戦争、ユグノー戦争、三十年戦争といった大規模な戦争がありましたが、その時々においてパリ都市民と王権がどのような関係にあったのかが触れられていきます。そして、大まかな流れとしては、都市民による自治が行われているパリにおいて、王権による統制が徐々に強まっていくこと、そしてその突破口として秩序維持が使われていったことがうかがえます。

 

たとえば、イタリア戦争でフランソワ1世が捕虜になるという非常事態が発生したときは、都市を外部に対して閉ざし、王権が都市に協力を求めて市門警護や夜回りを都市住民に担わせて対応したのに対し、三十年戦争時には都市民による自衛・自警はなお行われても、王権が都市に期待するのは国王軍兵士徴募と経済面での協力であり、都市社団の重要性が低下していることがうかがえます。

 

また、隣人関係を制度化する形でて民兵隊が16世紀に組織され、宗教戦争の様々な局面で重要な役割を果たしましたが(もともとは改革派洗い出しのために作られたらしい)、三十年戦争の頃から民兵忌避の風潮が徐々に見られるようになり、フロンドの乱においては都市民の民兵勤務忌避観がはっきりみてとれるようになっていきます。このような変化が生じていく過程でみられるのは、指揮官選出のプロセスが隣人間での選出から任命に変わり、指揮官と民兵間の関係が希薄な物になっていく様子です。

 

しかし、パリと一口に言っても市壁で囲まれた部分と、人口増大に伴い拡大した城外区(フォーブール)では違いもありました。城外区は領主権が残存していたり、ギルド規制が及ばなかったりタイユ免税があるなど違いがあり、都市民もフォーブールについては全く同じとは見ていなかったようです。いっぽう、シャトレの役人による取り締まりが及ばなかったことから、フォーブールには改革派教会が多数造られ、そのことが都市の秩序を乱すとみられていた事もうかがえます。改革派とカトリックの関係について触れておくと、対立が強まる中、王権が改革派に寛容な立場をとり、それにたいし都市民が反発、国王軍とパリ市民が衝突して市民側が勝利、市政を一時掌握した「バリケードの日」と呼ばれる出来事がありましたが、こういった動きを成功に導いたのもパリ都市民の間に張り巡らされた隣人間の結びつきでした。

 

パリと王権の関係が変わり始めるのは、ブルボン朝の時代になるとはっきりしてきます。都市主催の祭でも「国王万歳」の歓呼やスイス衛兵がおかれるなど国王の存在感が増していくほか、民兵指揮官選出を選挙から任命に変えようとしたり、役職選出にも介入して選挙結果を無視したアンリ4世以降、王権による統制が徐々に強められていきます。度々出された武器携行禁止令でも、製造・販売のコントロールや一部集団による武器の独占を狙う内容が盛り込まれ、武器携行に関して市民と住民の間で線が引かれるようになります。そして、ルイ14世の時代には秩序構築のため王権によるパリ統制を強化する方向で改革が進められていきます。

 

こうした動きが進む中でパリと王権に反発することもあり、都市とシャトレが都市防衛と秩序維持を巡って対立したり、フロンドの乱においてはパリは高等法院を支持しています。しかし、最終的にはルイ14世治世下の改革によって、パリの秩序維持の仕事は王権がになうことになり、都市民は受動的な立場にたたされます。そうなると、もはや公共の安全であれ都市防衛であれ、武器を取ることは要請されなくなるとともに、武器の使用が有罪化されていくことになります。こうしたなかで、隣人間の結びつきよりも、階層ごとのまとまりが強く意識されるようになっていき、同じパリ都市民の間でも社会的・文化的格差が大きくなっていくことになります。

 

このように王権による統制が強められていく過程が書かれている本書ですが、こうした統制強化も、あくまで「社団」の存在を前提とした物であり、国民一人一人を個別に把握して行われていたわけではありません。その点で近代以降の国家とは大きな違いがありますが、主権国家が支配領域内の住民をどのように統治していくのか、それを秩序維持や人と人の結びつきの変化から考えると言うことはきわめて現代的な課題を含んでいると思われます。

 

統制強化の突破口として秩序維持(特に治安問題)が使われるというのは、現代にも通じるところがあります。権力によりがんじがらめに縛られることを好む人はそれ程多くないとはおもいますが、安全で平穏な暮らしを守るためと言われると、表だっては反対しにくいと思います。しかし一方で常に誰かに監視されているという生活も息苦しさを覚えると思います。治安維持はしてほしいけれど、何となく息苦しいというなんとも微妙な感情を抱きながら暮らしている人もいるのではないでしょうか。

 

また、日本でも治安の悪化ということが言われて久しいですが(実際の犯罪件数ではなく体感治安の悪化が特に問題となっているようなところもありますが)、その際に、近所の人との交流が減り隣人関係が希薄になり、隣に誰が住んでいるのか分からないからだという指摘がなされることがあります。そこで隣人関係を再び作り直し、地域共同体を作っていこうという提言もなされることがあります。それによるメリットもある一方で、よそ者排除という問題も出てくるかもしれません。

 

こういった問題を考えるとき、現代の東京ほどではないにせよ、当時のパリはヨーロッパ有数の大都市であり、首都でもあり、それ故に様々な問題を抱えていたことをしり、考えていくために、16世紀~18世紀のパリを舞台にソシアビリテと秩序維持をあつかった本書は役に立つのではないでしょうか。