まずはこの辺は読んでみよう

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トマージ・ディ・ランペドゥーサ「山猫」岩波書店(岩波文庫)

イタリア統一運動(リソルジメント)の波にさらされるシチリア島を舞台に、衰退していくシチリアの大貴族サリーナ公爵家のドン・ファブリーツィオの目を通して描かれる古き貴族社会の衰退と新興勢力の台頭、古き社会が新しい物に取って代わられる有様の物語です。大まかな筋立てはかなり単純ですが、シチリアの貴族の生活や自然といったものが緻密に描写され、その合間には優雅であるが死や滅びの影を感じさせる古い世代と野卑であるが活力を感じさせる新しい世代の姿が描かれていきます。

 

リソルジメントまっただ中のシチリア島、ちょうどガリバルディが「赤シャツ隊」を率いて上陸した頃から話は始まり、天文学に通じたサリーナ公爵家のドン・ファブリーツィオが愛情を注ぐのは実の息子たちではなく、甥のタンクレーディでした。彼は貴族でありながら立身出世のために「赤シャツ隊」に身を投じ、さらにここの所急に資産を殖やし台頭してきた新興地主ドン・カロージェロの娘アンジェリカと結婚することを選びます(で、実はタンクレーディが好きだったのは、サリーナ公爵の娘にしてタンクレーディの従姉妹コンチェッタだった、という後日談が最後に語られていますが…)。甥が新興階級の娘との結婚を選んだ事について、ドン・ファブリーツィオはこれを祝福しつつ、時代が変わったのだと言うことを感じさせられるのです。

 

本作を読んでいると、生の描写の狭間に死や滅びを意識させる描写が随所にみられます。実際、狩りの場面や「義人の死」の絵、腸の飛び出した兵士、四つに切り分けられた家畜…と言った死を強く意識させられる場面もあれば、幸せ絶頂な感じを与える婚約中のタンクレーディとアンジェリカのシーンに、その後の結婚生活があまりうまくいかなかったと言うことを挟み込んだり、ドン・カロージェロに持っている土地を売りとばす交渉をする没落する人々の場面が描かれていたりします。映画よりも文字で直接そのような場面が書かれている分、死や滅びといったものがより強く感じられるような気がします。

 

滅び行く旧世界の住人ドン・ファブリーツィオはタンクレーディとアンジェリカの婚約について時代が変わったことを痛感していますが、彼は新勢力と旧勢力の交代を眺めつつ、どのように感じていたのでしょうか。読んでいてそこの所が気になります。新世代の活力をうらやましく思う一方、新世代に対し悪意のような物も持っていたり(特にドン・カロージェロに対して)、自分が新生イタリア王国の役には立てないと言うことで上院議員となることを断った一方で、国民投票において新国家に必要な「信頼」が死んだと考えたり…、旧勢力の限界を悟りつつも新勢力がこれからの世界を支えられるのかいささか不安を感じていたのでしょうか。

 

興味深く読んだ部分を一つあげると、物語の終盤で神父が貴族について語る場面があります。もともとは現在のシチリア情勢についてサリーナ公爵がどう思っているのかを村人から訪ねられて答えた内容ですが、その質問に対する答えと言うよりも彼が貴族についてどう認識しているのかをまとめた内容となっています。読んでみると、独特の経験を数世紀にわたって積み上げてきた人々で、衰退していても滅亡の瞬間に新たな種をまき再び形を変えてよみがえるといったことがまとまっています。ロシアでは革命により貴族は滅びたもののソヴィエトではノーメンクラトゥーラという特権階級がそれに変わって現れたロシア、門閥貴族壊滅後は儒学の教養を身につけた地方有力者が宮廷で使えるようになった中国(そしてその後は共産党幹部が特権階級に)のような事例を見ていると、神父が言うように「貴族」という階層は一つ消えてもまた似たような集団が出現し、しぶとく残り続けていくものなのかもしれません。