まずはこの辺は読んでみよう

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八塚春児「十字軍という聖戦 キリスト教世界の解放のための戦い」(NHKブックス)

十字軍については世界史の授業でもかなり取り上げますし、近年では「キングダム・オブ・ヘブン」の上映で関心を持たれた方もいると思われます。しかし十字軍に関する著作を見ると、翻訳物はかなり見かけますが、日本人の研究者の著作は橋口倫介氏の物をのぞくとそれほど多くありません。本書は現在日本国内で十字軍について研究している数少ない研究者が一般向けに書き下ろした十字軍についての概説書です。

 

本書では教科書で出てくるような十字軍についての知識を改めさせられるような内容が含まれるとともに、その背景が余りよくわからない事柄について様々な説を整理しながらその中で説得力があるものをとりあげ、十字軍運動についてわかりやすくまとめています。

 

まず「十字軍」という言葉が西周の創作であることからはじまり、クレルモン”公会議”という表現は適切でないという指摘やそこで行われた演説以上に教皇の遊説・書簡、各地の司教や勧説使等の地道な努力が十字軍成立に重要であったことが述べられています。

 

さらに第1回十字軍と第4回十字軍についてはかなりページを割いて紹介していますが、それはこの2回の十字軍について検討することが、一般的に流布している「初期の頃は純粋な宗教的情熱で行われていた十字軍が後になると変質して経済的・政治的な動機といった世俗的動機から行われた」という十字軍イメージを修正しようとする上で重要だからでしょう。第1回について参加者の背景を検討することにより、教皇の意図に忠実な者もいれば世俗的動機で参加したり消極的な理由で参加している者もいるなど、宗教的動機と世俗的動機が並存している事を示していきます。また第4回についてはヴェネツィア主導という通説が誤りであり、途中からはヴェネツィアは関係ないこと、この頃になると採算のとれない十字軍にそれを承知で参加する者や、十字軍家系に属する故の義務感から参加する者も多かったことが指摘されています。

 

その他、「神が欲する」という十字軍演説についての有名な言葉も実際はそこでは使われなかったことやインノケンティウス3世が十字軍を行った背景は西欧において叙任権闘争後も皇帝は強く、教皇がイニシアチブを取り返したかったためだとか、教皇は十字軍活動の始まった頃から(さらにはそれ以前から)東西教会統一を目指していたこと、ルイ9世チュニスに向かった背景には弟シャルル・ダンジューのシチリア経営が在ると指摘するなど、おもしろい事柄が多数含まれています。なお著者は寛容の精神や平和主義的な解決として語られるフリードリヒの十字軍について、そういう見方に対しては懐疑的な立場をとっています。この辺は最近のはやりとは一線を画しているようです。

 

著者は教皇が十字軍を決意した理由についても「キリスト教世界の解放(これは本書の主張ですが)」という考えが根底にあったという主張を展開しています。この本では十字軍はそのような運動としてとらえられ、それを脅かす異端や政敵との戦いのために十字軍を用いることは何ら問題ないと著者はとらえています。この辺はエルサレム解放戦争に限定しようとする通説とは大きく異なっています。

 

以上のような内容を盛り込みながら十字軍についての概説書としてまとめられており、非常に興味深い本ですが、やはり西洋世界の動きが中心になっており、「西洋では十字軍を当時こう考え、このように行動した」といったことをまとめることに重きが置かれています。そのため、十字軍運動の主たる対象となったイスラム世界の側からこの動きをどう見ていたのか、第4回十字軍で大変な目にあったビザンツ帝国はこの動きをどう見ていたのかは、それぞれ「アラブが見た十字軍」(ちくま学芸文庫)、「第4の十字軍」(中央公論新社)といった辺りを読んで補完すると、もっとおもしろく読めるかもしれません。

 

本書では「キリスト教世界の解放のための戦い」として十字軍をとらえていますが、個人的には教皇主導のキリスト教世界が何から“解放”されるのか、十字軍の対象となっているイスラムや異端、異教徒や政敵がキリスト教世界に束縛を加えている存在なのか、その辺りのことが気になり、「解放」という言葉を使っていることに少しばかり違和感を感じました。実際に何かに束縛されていたというのでなく、ローマ教皇が自分を頂点にした世界を作ろうとしている動きにして、ローマ教皇による「防衛的帝国主義」のような運動に対して、「解放」という言葉をつけることについては違和感が最後までぬぐえませんでした。そういうところはまだ何となく消化しきれない物が残っていますが、十字軍関連書籍としてはまずこれを読むと良いと思います。参考文献が充実しているので、読書案内としても有益です。