まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

フェルナン・ブローデル(尾河直哉訳)「地中海の記憶」藤原書店

歴史学の大著として名高い「地中海」(藤原書店)の著者であるフェルナン・ブローデルがかつて地中海について古い時代から扱った双書の執筆を頼まれて書き上げた物の、肝心の企画がつぶれてしまい、彼自身もこの原稿を出版せぬまま放置していた著作です。

 

まずは地中海世界の成り立ちについて、地質学的な話からスタートし、山がちであったり砂漠があったりして消して豊かでない陸地と、これまた豊かさに欠ける海をもつ地中海世界の地理と気候についてまとめ、さらにこの地域で文明が登場する前の先史時代についてもまとめています。

 

エジプト文明メソポタミア文明の発展について解説した後、これらの文明圏で船が造られ、河川交通が発展し、さらに竜骨と衝角をもつ船の登場とともに人々の活動範囲が広がっていった様子、そして巨石文化が東部から広がった(但しこれは現在は否定)という話がまとめられています。

 

また、彼は「海の民」の登場により中東とギリシア・エーゲ海が切り離され両者が断絶するまでレバントの陸と海では一つの統一が生まれそうになっていたと考えています。そして、コスモポリタンな文明、当時の地中海文明の精髄としてクレタ文明に着目しており、ミュケナイ人についてもクレタ文明の仲介者としてみていたりします。

 

その後、騎馬民族の侵入やケルト人の移動、西方と東方の断絶といった段階を経て、それ以降はフェニキア人、エトルリア人、ギリシア人による植民活動、ギリシア文明の繁栄とアレクサンドロス東征により東側に力を注ぐ過程で文明が消滅していく過程、そして地中海世界を支配下に置き、さらに北方へと広がろうとしたローマ帝国といった歴史を見るなかで、地中海の西への拡大(植民活動)→東方への揺り戻し(アレクサンドロス)→均衡回復(ローマ帝国)という大まかな歴史の流れを見ていきます。

 

このあたりではフェニキア人の活動にかなり注目しているほか、エトルリア人の存在にもかなり興味深く見ているようです。その一方でギリシア人の活動とギリシア文明についてそれほど強調する様子はなく、むしろギリシア文明がオリエントから多くを負っているという立場をとっているようです(科学や思想に関する項より)。個人や事件よりももっと長いスパンで歴史を見ていくブローデルの姿勢はギリシア史の見方にも現れており、ペリクレス時代からマケドニアの覇権までのギリシアの歴史について、偉大な個人が国の命運を掌中に握るという考え方は幻想であるとはっきり述べています。

 

なお、ブローデルはヘレニズムについてはギリシア文明衰退期と見ているのではないかと思われる(ギリシア芸術が精彩を失っていった末に登場したバロック趣味のマニエリズムとヘレニズム期の芸術をみている)ところがあります。このころはまだヘレニズム時代について積極的な評価はあまりなかったのでしょうか。また、日本でローマ史好きな人にとってはたまらない共和政末期について「人間の卑劣さが主役であるという点ではぞっとするほど単調なドラマ」とばっさり切りすってているところは爽快感すら感じさせます。

 

書かれたのが今から40年ほど前であるため、学問的には既にその説は採用されていないところもあるようですが、物の見方について何度も読みながら考えてみたい1冊です。今はこうだという指摘は注を見ると色々とまとまっているので、その辺も併せて読むと昔と今でこう変わったのかと思うところもありました。

 

実際の所、一度読んでから感想をまとめようとしてもまだ十分まとまったとは言い切れないので、また読み直してみようと思っています。それにしても、ブローデルは地中海が好き、というより地中海を愛しているんだなということはよくわかります。決して豊かな海とは言い難い地中海に、彼をそこまで引きつける魅力はどこにあるのだろうか、なんてことを考えてみるのもまたおもしろいか。