まずはこの辺は読んでみよう

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南川高志「ユリアヌス」山川出版社(世界史リブレット人)

ユリアヌスというと、辻邦生「背教者ユリアヌス」を読んだことがある人はいるかと思います。キリスト教が勢いを増す中で古代の伝統信仰復活を試みた皇帝と して紹介されることが多い人物であり、幼い時から死ぬ時まで、様々な苦難に見舞われてきた人生のようにも見える人物です。本書ではユリアヌスについて、皇 帝が想定していた路線や、当時の政治文化からずれた存在であること、信仰についても当時の人々の心情からそれたものであったといった、「逸脱した皇帝」と して描き出しています。

プラトン主義を学んでおり、実際の政治や軍事からは切り離されて育った若者が、コンスタンティヌス大帝家で唯一の若い男性となり、副帝の位につけられて からの変貌ぶりにはやはり驚かされます。幼少期より親を殺されたり、幽閉状態で過ごす時期が長く続いたり、兄も皇帝により処刑されるなど大変な人生を歩 み、その間、軍事や政治の実務に全く携わっていなかった彼が対ゲルマン人相手の戦いや村落襲撃を繰り返し、属州行政にも深く関わっていくようになったのは 何故なのか、非常に気にはなります。

副帝になったのは極めて偶然に近い出来事であり、とりあえず飾りとしていてくれれば良いというくらいの認識で当時の正帝コンスタンティウス2世に選ばれた 彼が軍事や政治に積極的に関わるという激変ぶり、まるで漫画「ヴィンランド・サガ」のクヌート王子の覚醒を思い出しました。副帝として業績を上げ、さらに 正帝としてコンスタンティウス2世に取って代わり、単独皇帝として前皇帝の治世の清算としてのカルケドンで裁判を行い一種のけじめをつける、このあたりの ころのユリアヌスからは帝国の統治者としてなすべきことを成すために覚悟を決めているような感じすら受けますが、ちょっとしたきっかけで政治家としての才 が花開くために必要な土壌が作り上げられたのは、若い時の哲学的修養のおかげだったのかもしれません。ただ、新プラトン主義がそういう方向で作用する哲学 なのかどうかはわかりませんが。

本書の注のつけ方のスタイルは他の巻とは少し違う印象をうけました。色々な事柄に注がついており、それについての解説がつけられているのは他の本とおなじ ですが、他に詳しく扱っている人がいるジャンルだったりすると、その論文および多く研究論文を出している人の名前を紹介したりしています。巻末の参考文献 表を見て、そこにのせられている論文を国会図書館大学図書館リポジトリを探して読んでみると色々勉強になるような作りになっています。特にユリアヌス の宗教や思想に関してはそこで取り上げられている論文を探して読んでみようかと思います。