まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

平岡隆二「南蛮系宇宙論の原典的研究」花書房

イエズス会の布教活動というと、西欧の学問や技術ももたらしつつキリスト教の信者の獲得をはかる様子が中国や日本においてみられます。そして、イエズス会の活動を通じて、日本に16世紀西欧の宇宙論もつたえられました。

本書では、イエズス会の宣教師がキリスト教布教にあたり、ヨーロッパにおける宇宙論を説きながらキリスト教への改宗を進めており、キリスト教布教のための 武器として当時の最先端の宇宙論が使われていたこと、そして日本で紹介された南蛮系宇宙論キリスト教の禁止とともに消えたというわけではなく、入念に研 究され、書き写されて色々なところに伝播していたことが、様々な文献の調査をもとに明らかにされています。キリスト教が近況になった後も、南蛮系宇宙論キリスト教の文脈から切り離された形でどんどんと広まっていたことも興味深いのですが、個人的には過去の成果の積み重ねと現在との関係について、色々と思 いを巡らせてみたくなる一冊でした。

本書では、イエズス会の布教戦略の一環として南蛮系宇宙論が紹介されているのですが、そのための著作としてゴメスという人物の著作がコレジオで教科書とし て使われていたことが紹介されています。そして、ゴメスの著作に書かれた宇宙論が何を元にして書かれたのかを探っていきます。

ある1冊の本ができあがるとき、書くために典拠とした著作が何に基づいているのかを探る第2章や第3章を読むと、人間の思索や探求の積み重ねの上に様々な 者が成り立っていることを強く意識させられます。過去をそのまま積み重ねていく物もあれば、過去を否定して全く違うものを作り出す物もありますが、どちら にせよ何もないところから出てくるわけではないことは確かだろうと思います。

そして、過去に行われてきた試行錯誤の積み重ねから、新しい何かが作られていく、そしてその積み重ねの量は後になればなるほど増えていく事が多いような気 がします。新しい時代のことをやるのだから、昔のことなど知らなくてもいいと思っている人は世の中に数多くいるような気がしますが(最近の近現代史偏重も そういうところでしょう)、その「新しいこと」が一体何を材料として作られていったのかということは考えなくてはいけないことだと思います。まあ、近現代 重視というひとたちはそういうことを考えて言っているんじゃなくて、単に物を知っているか知らないかという次元で語っているだけだと思います(だったら教 科書でも自分で読めば十分足りるとおもいますが)。

ある著作の背後にはそれ以前の数多くの学問的成果があること、そしてある著作がもとの文脈を離れて当初予定していたのとは違う流れの中で受け入れられて行 くこと、そこに関して非常に興味深い一冊でした。惜しいなあと思うのは、この本がかなり限定された部数でしかでていないと言うことですね(私は運良く発見 して購入しました)。学術研究の本としては極めて良心的な価格で出ている本ですが(こう言う本が2500円(税別)は安いです)、可能ならばこの内容を ベースにして一般向け書籍を出して欲しいと思います。