まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

本郷和人「天皇の思想 戦う貴族北畠親房の思惑」山川出版社

南北朝時代を生きた貴族北畠親房について詳しく扱った本かと思いきや、実は親房は話のつかみと結論部分でのみ登場します。では、何が中心なのかというと、 鎌倉時代の朝廷が一体何をしていたのか、どのような状態にあったのかと言うことです(実はこの辺のことを明らかにすることが、北畠氏の位置づけを理解する うえで、そして親房の行動を理解する上でも大事だったりしますが)。

本書では、特に、承久の乱で敗北した後、朝廷が新しい状況に如何に対応しようとしたのかということが詳しく書かれていきます。九条道家のもと、朝廷は訴訟 (単なる裁判でなく、様々な陳情に応える感じ)に対処すべく有能な中級貴族を登用して「徳政」を実施する仕組みが作られ、政権担当者が変わっても(道家失 脚後、後嵯峨院政になり、その後も院政が行われたりする)、有能な人材の登用・訴訟の遂行による「徳政」実施は変わらず続いていった事が示されていきます (上皇院政において、伝奏の地位につく人々が重要だったようです)。本書のタイトルに入っている北畠親房に関して言うと、北畠氏のルーツもそのような中 級貴族層(大覚寺統に忠誠を尽くす家でした)にあること、親房は後宇多上皇に抜擢されたらしい(後宇多の廷臣に「房」の持を含む臣下が多数いる)が分かり ます。鎌倉時代の朝廷の動きについては、あまり知る機会もないことであり、1冊でまとめられている本書のような本はこの時代の理解を深める上で有益だと思 います。

また、幕府と朝廷の関係についても、承久の乱が終わり幕府の政治が安定し始めてから、霜月騒動までの間は朝廷を統治のパートナーとみる方向に向かっていた が、それ以降は朝廷はライバルとみなすようになり、その結果として大覚寺統と持妙院統にわかれるように持って行ったという主張がなされています。また、大 覚寺統と比べると持妙院統は中級貴族層を把握し切れておらず(西園寺、日野がいるが、大覚寺統と比べると少ない)、幕府の肩入れによって何とか存在できて いたという指摘には、対談(漫談?)風のまとめにみられる南朝が義満の時代まで残った理由とあわせて、目から鱗が落ちる感じがしました。

7章と8章で後醍醐、親房をあつかいますが、後醍醐に対する評価は通説とはかなり異なる感じがします。「新しい」「型破り」と評されることのある後醍醐に ついて、そのような見方を真っ向から否定しています。後醍醐については、名家層を取り込めず(中継ぎ的な天皇であり、かつ倒幕の意志を明確にしていたた め)、承久の乱以降の「徳政」の流れから逸脱した(名家層にかわる近臣を形成しなくてはならなかった)、倒幕は彼の力ではなく武家側の事情によるものであ る、そのような見方も示していきます。そんな「徳政」の流れから逸脱した後醍醐に仕えた親房は理念と現実を状況に応じて使い分け(理想としては徳の論理を とりつつ、世襲肯定論を唱えたりする)、現状の肯定をはかりながら反撃の機を窺っていたということになるようです。

あまり顧みられることのない鎌倉時代の朝廷の様子について知ることが出来るという点で非情に有益な本だと思いますし、理論先行で大風呂敷を広げただけの本 よりも、実証を積み上げながら、具体的な事柄をまとめていき、そのうえで結論を出すという著者のスタイルは非常に好ましいです。何かの理論や史観を使って すぱっと何か言い切ってくれるほうが、「わかった」気分にはなれますが、理論や史観が先行して枠組みの中に史実を当てはめていく作業って、何か空しい気が するのですが、実際はそういう方が好きな人が多いんでしょうかね。まあ、忙しかったり疲れていたりすると、そういう本の方が読みやすいですが…。