まずはこの辺は読んでみよう

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岡田泰介「東地中海世界のなかの古代ギリシア」山川出版社

古代ギリシアとオリエント世界というと、二つは全くの別物で特につながりはない物と見なされてて来ましたし、今でもそう思う人は多いのではないでしょうか。しかし古代ギリシア文明を見ていくと、ギリシア人たちが東地中海世界で活発な活動を展開しながらオリエント文明を摂取したことが明らかです。本書では経済的・文化的・社会的なネットワークが張り巡らされた東地中海世界の中にギリシアも組み込まれており、オリエント諸文化の影響を強く受けながら発展してきたことをまとめています。

 

まず、最初に昨年日本でも邦訳が途中まで出たバーナルの「黒いアテナ」の話題から始まり、従来のような「地中海分断型モデル」とは違う視点が最近ではとられるようになってきた事が述べられています。

 

第1章で、ミノア文明は形成段階から西アジアの影響を受け、大規模な建築や財政システム、祭祀制度のモデルは西アジアにあったとする仮説を紹介します。そして、宮殿が出現するとともにミノア人がエーゲ海沿岸部に進出し、小アジアにも交易拠点を築いていったことや、エジプトにクレタの職人が制作した壁画が存在していることなど、オリエントとミノア文明の関係についてまとめていきます。

 

そのあと、ミケーネ文明へと話が移り、ミケーネ人が交易目的で各地に進出していたこととともに相互の交流があった様子が、オリエントからミケーネ式土器が出土することやミケーネからエジプトの意匠を用いた短剣が出土することを挙げて述べられています。また、東地中海の中継貿易の拠点にして独自の占領を用いた布地や青銅の産地ウガリト、中継拠点にして銅の産地キプロスといったところをミケーネ人が利用していたことを述べています。その他、小アジアや東地中海世界におけるミケーネ人コロニーの存在やヒッタイトとの接触(ミケーネ人との争いがあった)、二輪戦車の主題、大型墳墓、大規模な土木・灌漑事業、城門・城壁の作りなどミケーネ文明におけるオリエントの影響についても扱っています。

 

第2章ではギリシアとオリエントの交流が再び盛んになってきたことについて、ギリシア人の植民活動やシリアパレスチナにおけるギリシア人居留地の存在について触れています。前章でミノア人、ミケーネ人のコロニーがあったミレトスがここでも登場しています(ミレトスの前史はなかなか興味深かったです)。また、様々な文化・人々が流入するコスモポリタンな港町アル・ミナの話題が取り上げられています。さらに、フェニキア人の東方文化伝播に果たした役割についての変化をまとめています。地中海東岸へのギリシア人の到来は近年の発見(ティルス出土の前10世紀に遡るエウボイア土器など)によってかなり遡る可能性があることに言及したあと、フェニキア人がギリシアに到来して東方の技芸や様式を伝え、それが次章で扱う「東方化革命」の基礎を築いたことに触れています。

 

第3章では「東方化革命」の時代が扱われ、土器・彫刻・金属器にオリエントの影響が顕著であること(土器の文様、彫像のスタイルやデザイン、青銅器鋳造の技術)、建築での神殿建設の発展(エジプトの神殿がモデルらしい)といったところから、宗教・祭儀(供儀の方法、日本の地鎮祭のような儀式、占い、血を用いた浄め、呪い)といった物がオリエントの影響を受けている事が指摘されています。さらに、ギリシアの文字や文学についてもオリエントの影響があったことがかなりページを割いて説明されています。

 

文字や書記法に関する話がこの章では一番詳しく扱われており、オリエントの文学はキプロスやクレタを介してギリシアに入ってきた、そしてそれは口承によるものだったといったことが可能性が指摘されています。次に書記のギリシア文学にはセム語からの借用語やオリエントの技法の影響が見られるという指摘から多言語を操る詩人の存在が推定され、そのあとでアルファベットの話題が扱われます。さらに文字の話に移ると、線文字Bが失われたあと、北西セム語(シリアパレスティナのセム語)からアルファベットを借用したことは確かであるが、その時期について前8世紀とする説と前12~前11世紀とする説が対立していること、セム文字受容段階で初期ギリシア文字の多様性が生まれたこと、ギリシア文字が最初に生まれたのは地中海東岸にせよエーゲ海島嶼部にせよ、ギリシア人とオリエントの人々の交流があった場所だと考えられることが指摘されます。最後に、文字の伝播はそれを書く媒体やレイアウトの伝播も伴うこと、ギリシア語にオリエント起源の単語が多数見られることにも言及しています。

 

第4章は古典期ギリシアとオリエントの話に入りますが、まずイオニア諸都市の繁栄について話が始まり、植民市建設・原料供給地や市場を得た事で繁栄し、そこを舞台に自然哲学がはじまったことが述べられています。さらにペルシア戦争についても触れており、これ以前はオリエントに対する畏敬の念を抱いていたのが、戦争によりそれが揺らぎギリシア人に自信と偏見を持たせるようになったことが述べられています。しかしオリエントへの侮蔑が現れる一方で、東方への興味が様々な民族に遭遇したことで強まったことや、ペルシアの豊かさへのあこがれがギリシア人のエリート層に残存していたことにふれています(陶器に関しても金・銀の代替品と見る学者もいるようです)。

 

最後、ギリシア人は東方との交流を通じて自分は何者かという認識を作り上げ、その独自性をオリエントとの交流で洗練された手段により表現するようになったということから、東地中海世界を苗床としてギリシア文明が育っていったという結論になっています。

 

80頁強の一般書なので学説の当否や資料の分析といったことは盛り込むのは難しいでしょうし、実際資料を引いて分析したりしている箇所はそれほどなく(第4章でヘロドトスを引いたり、第2章でホメロスを引いたりした箇所はありますが)、学説関係についてはそう言う説があるという紹介に近い扱い方になっています。個々の学説が妥当なのかどうかはさておき、ギリシア史についてそのような見方があるということを知ってもらう野なら、それでいいような気がします。

 

最近、一般向けのギリシア史の本ではオリエントとギリシアが対立したり断絶した世界であったという見方を変えようとする本が出ています。たとえば、「古代ギリシア 地中海への展開」(京都大学学術出版会)はミケーネ文明からヘレニズム期までの長いスパンでギリシア史を考え、周辺文明(エジプトなど)との交流を通じギリシア文明が作られたという視点をとっていますし、「アレクサンドロスの征服と神話」(講談社)はギリシアとオリエント世界の関係の中にアレクサンドロス帝国とヘレニズム世界を位置づけようとしています。本書は80頁強という一般向け小冊子ですが、ギリシア文明を東地中海世界の諸々のつながりの中で成長してきたということを示そうとしているようですし、実際それはうまくいっていると思います。