陳独秀というと、世界史の教科書では新文化運動の中心メンバーであったということ、そして中国共産党の結成といったことで名前が出てきます。しかし、どう いう背景があって新文化運動に関わるようになっていったのか、そして中国共産党結成に関わった彼が後で中心から外れていってからはどうなったのかといった ことはほとんど触れられていません。
本書では新文化運動に関わる前の陳独秀、そして中国共産党結成から死ぬまでの間の陳独秀の動きをまとめています。日本に何度か留学や旅行のためにやってき て、その時に英語やフランス語を学んでいたことがまとめられています。現在の正則学園やアテネフランセで語学を学んだことが、外国語の本を読めるようにな り、それがあとで新文化運動にも役立ったのでしょう。
しかし、新文化運動の中心、「新青年」の刊行により人々を指導したということがらからは陳独秀の激しさは十分には伝わらないということもよくわかりまし た。かつてはアナキズムの立場をとり、爆弾テロを目論むような集団にも加わったことがあったり、袁世凱政権に対する反政府行動に呼応して逮捕され、危うく 銃殺されかけたり、五四運動の際には軍閥政府を批判するビラをばら撒いて逮捕されるといったことなどなどは、彼が部屋にこもって学問に沈潜しているだけの 人であればまず起こらなかったことばかりでしょう。中国の現状をなんとかするために、文化面での革新を目指すとともに、なんとかしようとして色々な行動に 手を出していたように感じます。そしてその流れの中にあったのが中国共産党結成だったのではないかなと思います。
しかし、結党したあとの中国共産党はコミンテルンの指導下にあり、陳独秀にとっては色々とやりにくいこと、不満や反発を抱かずにはいられないことがおお かったようです。コミンテルンによって押し付けられた共産党と国民党が対等でない第一次国共合作のありかた、国民党右派の蒋介石の動き、北伐のありかた、 どれを取っても陳独秀からすれば望ましくないものばかりでありながら、様々な責任を問われ、日和見主義のレッテルを貼られることになるというのはやりきれ ないものもあったでしょう。
本書の終盤では、中国トロツキー派の指導者となった陳独秀の晩年について書かれています。普通、陳独秀は共産党結成に関わり、しかし除名されたというとこ ろで世界史の授業などでも触れられることはないのですが、その後の彼の動向をまとめてあるということでは意味があるのではないでしょうか。
知らないことを知る、そういう楽しみは得られる本だと思います。