まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

富田健次「ホメイニー」山川出版社(世界史リブレット人)

今の若い人達にはほとんど分からないとおもいますが、アメリカのことを「大悪魔」とよんで糾弾した人がいました。またサルマン・ラシュディの「悪魔の詩」という作品でイスラムが悪く書かれているとしてこれを批判し、著者のラシュディに対して処刑を呼びかけた人がいました。

一体今の世界のどこに「大悪魔」なんて言葉を使ったり、他所の国の一作家が書いた本を理由に作家の処刑を呼びかける人がいるのかと思うかもしれませんが、 これは1980年代の世界で実際にあったことです。この強烈な言動を放った人物こそ、イラン革命の後でイランの最高指導者となったホメイニーその人です。

しかし、ホメイニーがどのようなことをしていた人なのかと言うことについてはイラン革命の時代にある程度の年齢に達していた人でも知らない人が多数だと思 います。また、彼はイスラムウラマーですが、彼がどのような学問を修め、どのような思想を抱いてたのかと言うことについてはほとんど知らないのではない でしょうか。

本書ではホメイニーがどのようにして独自の思想を形成していったのか、イラン革命に到るまでのイランの歴史の流れと彼の思想形成の過程、そしてイラン革命により彼が築き上げた独自の政治体制、そして体制樹立後の激動のイランの歴史を描いていきます。

イランでは「法学者による統治」がおこなわれていますが、それに到るまでのイランの政治思想の流れが簡潔にまとめられています。すでにホメイニー登場以前 からイマームが隠れている間は世俗のことは君主が、宗教的なことは法学者がというぐあいに分権的な考え方が出現していったことがしめされるとともに、ホメ イニーのように世俗のことも宗教のことも法学者がすべて行うべしという思想が何故イランで形成されていったのかを追っていきます。パフレヴィー朝の世俗路 線の推進に対する批判を行う中でそのような思想を形成していったことがわかりやすくまとまっています。西洋近代的なものとどう向き合うかはホメイニーにと り大きな問題であったことは、イスラムについても本来のものと西洋に従属させられたものの2種類があるという認識からも明らかでしょう。

そして教科書的にはイラン革命でイランに独特な体制が出来た後のことについて、イラン=イラク戦争という大変な出来事と並行して何が起きていたのかと言う ことはほとんど触れられていません。そのため、すぐに体制が安定したのかと思いきや、実はホメイニーと思想を異にする法学者が結構おり、ホメイニーのよう に政教一致の体制をよしとしない人々も結構いたことが示されていきます。その状況がホメイニー死後直後の憲法改正(最高指導者の資格を緩める、そして権限 を無制限にする)の背景にあると指摘しています。

その他、ホメイニーは何となく全ムスリムの代弁者のようなイメージを抱く人もいますが、実際にそのような扱いをされるようになるのが「悪魔の詩」事件だっ たということや、イランで大人気だった「おしん」がイラン国内で予想だにしない問題を引きおこした(理想の婦人像としておしんをあげたことがムスリムとし て問題だったとか)、そのような話題も取り上げられています。

本書を読んでいると、ホメイニーはただただ理想を強引に進めるタイプではなく、絶対に守るべきルールは設定しつつも、かなり「現実的」な対応ができるタイ プなのではないかと思えてきます。労働関係の法規を制定することはイスラム法と相容れないのですが、ホメイニーはその辺りはかなり上手く扱っていたり、革 命前は思想を敢えてあやふやにした上で半国王勢力を結集していき、革命の後に自分の路線を押し出していくなど、なかなかにしたたかなタイプと見ました。

いっぽう、ホメイニーがイスラム法学者の代表なのかというと、ちょっと変わっているように見える所もあります。それは、彼が哲学や神秘主義思想といった者 をかなり学んでおり、その影響を強く受けているということです。プラトンの政治哲学についてホメイニーが深く学んでおり、かれの政教一致の政治理念はプラ トンの哲人王思想の影響が見て取れると言うことは意外に思う人が多いのではないでしょうか。

そして、ホメイニー自身はシーア派のため、イスラム世界ではスンナ派からは冷ややかなまなざしで見られ、彼の行っていることもそういう流れで扱われいると ころは確かにあるようです。しかしイラン革命イスラーム復興運動の流れに大きな衝撃を与え、現代世界のイスラームの運動の活発化(それがかなり極端な法 に行っているところがありますが)をひきおこした、そういうことは読んでいると分かるのではないでしょうか。