まずはこの辺は読んでみよう

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国本伊代「ビリャとサパタ」山川出版社(世界史リブレット人)

20世紀前半におきたメキシコ革命については、ディアスの独裁体制が打倒され、その後大統領となった自由主義者のマデロもウェルタのクーデタにより斃れるが、護憲派勢力がウェルタを打倒することになります。しかし護憲派勢力の内部でも対立が起こり、カランサ、サパタ、そパンチョ・ビリャといった人々の争いが展開された動きです(終結時期については諸説あります。なかには1990年代まで含めることもあります)。

この革命において活躍したパンチョ・ビリャとサパタは今もなおメキシコにおいては革命の重要なリーダーとして取り上げられることが多い人物です。彼らが活躍した時代は丁度メディアが活発な活動を展開し、カメラの利用が広まっていたということもあり、ビリャとサパタについて様々な情報、イメージが伝えられています。しかし、ある種のステレオタイプが形成され、それが流布していると言うということもあるようです。本書ではメキシコ革命においてこの二人が果たした役割を可能な限り客観的に迫っていこうとします。

まずメキシコ革命の背景とその展開についてコンパクトにまとめた後、ビリャとサパタの活動について、彼らの活動拠点となった社会のあり方、そして彼らがメキシコ革命においてどのような活動を展開していったのかということがコンパクトにまとめられています。北部に拠点を置いたビリャと中部・南部に拠点を置くサパタでは色々と違う点もあり、特に土地改革についてはサパタが非常に積極的に進めようとする一方(そしてディアス政権打倒後にマデロともそこで対立して決別しています)、ビリャの場合は一時チワワ州知事として様々な改革に着手する中で土地改革については消極的な面が見られます。

ビリャにしても、サパタにしても、ディアス政権下で生じた社会的矛盾(北部は鉱山や牧場、農場が発展する中、開拓農民の没落や他所からの労働力流入、中部・南部でも商品作物(特に砂糖)をつくるための大農園が発展する中で農村のあり方が変化し、小作人化する物が出現)を背景として現れた人物のようです。彼ら自身は革命の成果を見ることなく暗殺されてしまうのですが、政治的な事柄の改革に主眼を置く自由主義者中心の護憲派勢力に一般大衆の要望を認めさせることにそれなりに成功したというところで意味があったという所でしょうか。

個人的には、ビリャについては豪放磊落さと繊細さ、他人に対し配慮するところと残酷なところが同居している人物だと言うことが確認できました。意外だったのは酒とたばこをやってないというところですね。豪快な親分肌っぽい人だと、酒やたばこはかなりの確立で付いてくるような印象がありますが。それと、カランサに敗れた後のアシエンダを与えられ、そこでも抜群の手腕を発揮してうまいこと経営していたというビリャの暮らしも、ちょっと意外でした。あれだけ派手に暴れ回り、カランサと対立したにもかかわらず、暗殺さえなければ平穏な余生を送っていたかもしれないとは思いませんでした。