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家島彦一「イブン・ジュバイルとイブン・バットゥータ」山川出版社(世界史リブレット人)

イスラム世界ではメッカ巡礼が信者の果たすべき義務とされていました。旅はなかなか大変なものでしたが、旅をした人々のなかに旅行記を残した人々もいました。本書で扱われているイブン・ジュバイルとイブン・バットゥータはその中でも特に有名な人々です。

アンダルス地方(イベリア半島)出身のイブン・ジュバイルの旅の動機は飲酒の禁を破ってしまったことの懺悔、罪の浄めだったようです(もっとも、彼自身が 進んで飲んだと言うより、仕えているアミールの悪ふざけに拠るところが大きいのですが)。一方、グラナダのアミールに仕える書記だった彼が長期間にわたり 旅ができたのは、アミールも旅を通じて情報を集めること(巡礼儀式の手順・所作、意義の記録、陶磁の世界の最新情報の収集)ができるとおもったためだと著 者は考えています。ジュバイルの旅行記は彼自身のメモであり、かつアミールに提出された報告書でもあったというのが著者の見解です。なお、ジュバイル自身 の東方イスラム世界に対する認識はなかなか厳しいものがあり、サラディン以外は正統なイスラムから逸脱しているという見方をしています。

法学をおさめたイブン・バットゥータは足かけ30年、現在の50カ国ほどの国々にまたがる11万7000キロにわたる旅を書記に聞き取らせ、それが宮廷史 家の手であとで「大旅行記」として編纂されました。イブン・バットゥータの旅の目的もやはり聖地巡礼にありましたが、行ける限り色々なところをみてまわる 彼自身の旅の方針と、外部からの強制(君主からの命令を受けています)が彼の旅を長期にわたるものとしたようです。なお、彼が法官を務められるだけの学識 を法学に関して修めていたことが旅の最中にも役立ったようです。彼は旅の際に様々な物を見て回りますが、イスラム世界と非イスラム世界の狭間に位置する 「境域」を旅することを好んだようです。「境域」の旅は彼にとり、神の本質に近づくための旅だったというのが著者の見解です。

本書は伝記としての内容も含まれいてますが、むしろ多くの頁はこのような旅を可能にした要因の分析にあてられています。ラクダのキャラバンやダウ船といっ た交通手段、旅人など外部からやってきた人を迎え入れる伝統的な習慣や旅人の安全を保障するイスラム法、国家による巡礼キャラバンの保護の存在や、メッカ に向かう主要4ルート(エジプト、イエメン、イラクシリア)の概要がしめされ、さらに道の接点としての都市のあり方についても言及がなされています。イ スラム世界のネットワークに関することは著者の長年の研究で色々と示されてきた内容が反映されている部分がかなり多いのではないかと思います。

さらにイブン・ジュバイルの旅行記がメッカ巡礼の案内書のような役割を果たすとともに、その後の「リフラ(巡礼紀行文学)」の発展のながれや背景について もまとめられています。イスラム世界の仲での交流の活発化とリフラの発展は関係あるだろうとは思いましたが、イスラム世界の中で東と西の間で交通の障害、 格差が生じた12世紀半ばから後半、本場のイスラムイスラムの原点を知りたいというマグリブの人々の思いが高まったことがリフラの発展にも影響したとい うことは興味深い指摘だと思います。そのような期待を胸に東に行ったところで、実際には堕落しきったイスラム世界の姿を目にすれば、自分達の暮らしている 世界の方がまっとうであり、そちらのほうにこそイスラムの正統が引き継がれていると思うのも分かるような気がします。

イブン・ジュバイルとイブン・バットゥータの伝記としての部分にも興味深い内容が含まれていますが、彼らの旅を可能とした要因や、旅行記文学発展の要因、 2人の旅人の視点や考え方の違いなどにもふれています。この2人を比べると、どちらかというとジュバイルよりもバットゥータのほうが異なる世界や文化に対 する好奇心や関心と言った物が強く、それが書き物にも強くでているのではないかと思います。ジュバイルのほうはあくまでイスラム世界内部での移動で、比較 対象もイスラム世界の中での東と西にとどまっているということもあるのでしょうが、バットゥータはまるっきりイスラム世界でないところ、イスラム世界に編 入されつつあるところにまで旅をして、そこで見たり聞いたりしたことを自分達の暮らす世界と比較しながら描き出していますが、特に誰もそこまで求めていな いのに書いているのはやはり彼自身の興味と関心によるところが大きかったのでしょう。固有名詞に取っつきにくさを感じる人は多いと思いますが、イスラム世 界のひろがりや、当時の人々の世界認識などなどにもふれている興味深い1冊です。