まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

土肥恒之「ピョートル大帝」山川出版社(世界史リブレット人)

ロシアがヨーロッパの大国として認知されるのは18世紀のことですが、その礎を築いたツァーリというとピョートル大帝の名前はまず最初に挙がってくると思います(もう一人挙げるとするとエカテリーナ2世か)。

身長2メートルの巨漢で、腕力のすごさ、造船から医学まで様々な事柄に対して示された旺盛な好奇心、昔ながらの伝統にほとんどとらわれることなく周囲の反 対を受けても方針を曲げることなく改革を強力に推進する指導力、こういったものがピョートル大帝というと良く取り上げられる事柄ではあります。では、ロシ アの歴史においてピョートル大帝が果たした役割とは一体何だったのかと言うことを、功罪両面から見ていこうとするのが本書です。

オスマン戦争やスウェーデンとの北方戦争といった大規模な戦争にくわえ、徴兵制の導入、新税制の採用、貴族の勤務体系の確立、統治機構の整備、教会の国 家による管理統制、サンクト=ペテルスブルクの建設などなどピョートル時代には大きな変化や大規模な事業が行われています。徴兵制の実施においてもそうで すが、サンクト=ペテルスブルクの建設に際し、ピョートルがもつ専制君主としての強制力がいかんなく発揮された様子がうかがえます。立地としては最悪の場 所に町を作るため、まず労働力の徴発、さらに地盤強化のための石を納入する義務の賦課、そして住民の強制的移住をおこなっています。ロシアの西欧化が ピョートルの元で進んだのは専制と農奴制という古い仕組みを最大限活用したことによるという、極めて皮肉な結論が本書で示されるのも分かるような気がしま す。

また、ピョートルと息子アレクセイの関係についてかなりのページ数を割いて取り上げています。父親とは全く違う方向性を持っていたアレクセイはオーストリ ア皇帝の元に亡命しますが最後は悲惨な結末を迎えることになります。このアレクセイおよび彼の関係者(そこにはアレクセイの母も含まれる)に対するピョー トルの執拗な取り調べには、ピョートルの路線に反対する勢力(古い貴族や聖職者たち)がアレクセイに同情的であり、かれらが改革を台無しにするリスクが あったためという指摘は極めて妥当だと思います。

最後にピョートルの改革ですが、それがロシア人のアイデンティティにかなり深刻な影響を与えたことにも触れられています。ペテルブルクでは髭を切り西欧風 の格好をしていても領地に帰ると昔ながらのロシアの服装に戻し髭も伸ばしてしまったり、切られた髭についても大事にとっておいて棺に入れるよう指示してい るエリート達がいたうえ、エリート達以外の民衆や聖職者は西欧化指示の対象外で相変わらずロシアの伝統的な習慣を保持しており、同じロシア人でも違う集団 として分かれてしまっている様子もうかがえます。そして後にはニコライ1世はまるで「和魂洋才」「中体西用」のような考え方を示すこともありましたし、ロ シアで「西欧派」「スラブ派」の2つの思潮が現れることにもつながっていきます。当然両者の立場のどちらにいても、ピョートルの改革とは何なのかという問 いはついて回ることになりますが。

自分達が他者と張り合っていくために、改革が必要となるということは歴史上さまざまな時代や場所で見られたことですし、現代でもそのような事例はありま す。その際に、強力なリーダーを待望するということもまた、しばしば見られる現象ではあります。優れたリーダーの強力なリーダーシップの元で新しいことを 行い、良くしていきたいという願望を抱く人がそれなりに存在しているであろうと言うこともわかりますし、そのときに歴史上のリーダーを参考にすると言うこ ともままあることです。しかし、問題は過去の歴史上のリーダー達がリーダーシップを振るうことができたのはどういう状況だったのかということを果たして考 えて物を言っているのか疑わしい書籍や人物がみられるというところですね。ピョートル大帝に学ぶリーダーシップなんてほんを21世紀の日本でだして、それ をその通りだ、素晴らしいと思う人がいるとは思いたくはないですが、果たしてどうなのでしょうか。読んでいて、そのようなことをふと思ってしまいました。

最後になりますが、著者はかつて中公新書でもピョートル大帝の本を出したことがあります。現在それが手許にないため確認できないのですが、その時と今回とで何かしら変わったところがあるのか調べてみるのも又一興でしょう。