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小野容照「帝国日本と朝鮮野球 憧憬とナショナリズムの隘路」中央公論新社(中公叢書)

世界的には多くのファンを集めるスポーツとして野球がある国はそれほど多くないのですが、東アジアにはそれが集中しています。本書では、そのなかで韓国、そして日本の植民地支配下の朝鮮半島における野球の受容と発展、そして衰退の歴史をまとめています。

朝鮮半島における野球の普及において、半島にやってきたキリスト教宣教師や日本人よりも、日本に留学して野球をプレーした朝鮮人たちが日本野球を参考にして普及させようとしたことのほうがはるかに影響が大きい(そのため用語も日本の野球用語がつかわれるようになった)ということが指摘されています。

さらに、武断政治から文化政治へと移行してから野球が盛んになり、朝鮮半島での大会、さらには甲子園への出場など活発化したこと、そして30年代に戦時中の統制が強まるなかでの野球の衰退は朝鮮の学務局に強制されたわけでなく、各学校の校長が自発的に廃部したり、経費がかからず多くの人間を鍛えられそうな軟式野球に転換したことなど、興味深い話が色々と掲載されています。

野球用語など、朝鮮半島における野球の日本化については集会の自由がなく朝鮮人だけでのスポーツイベント開催が困難になった武断政治時代だけでなく、朝鮮人による大会が開催された文化政治の時代にも進んでいたことは興味深いです。さらに朝鮮人の野球関係者が朝鮮の大会より甲子園に価値を見出していきましたが、にほんの新聞社が与えた影響も大きかったことが示されています。

では、このように「日本化」が進んだ朝鮮野球ですが、朝鮮民族ナショナリズム的要素が弱まるかというと全くそのようなことはありませんでした。そもそも朝鮮野球の発展は身体錬成・愛国精神涵養により国を救うことを願う人々によりすすめられてきましたが、野球は身体を鍛え文明国にふさわしい身体を持つことを示したり、同じ土俵で日本人に勝つことで自尊心を回復させる手段とみられ続け、そして日本人主催の大会で朝鮮人選手や朝鮮のチームが活躍することはナショナリズムを高揚させる効果があったようです。

日本も植民地朝鮮における同化政策の手段としてとうぜん野球を利用していきます。「内鮮融和」「内鮮一体」には朝鮮でも人気のある野球が効果的だという考えは確かに出てきましたが、上記のような背景があるなかでそだった朝鮮人選手や観客がそう簡単に日本と同化することがなかったのも無理はないでしょう。

スポーツとナショナリズムの関係について触れた書籍は世の中にそれなりに存在しますが、本書は日本から技術や用語などがもたらされ、強烈なナショナリズムにより育った朝鮮野球の歴史をたどりつつ、身体の観点から、アジアの一民族が西洋世界の「近代」とどのように向き合ってきたかを考えるヒントになるとともに、日本による植民地支配の歴史のながれもおさえられる一冊だとおもいます。

西洋発のスポーツが欧米列強の各地への進出とともに伝えられ、非欧米世界がそれにどのように対応していったのか、彼らの意識にどのような影響を与えていったのか、そこには今の我々には計り知れない切実なものがあったのではないかという気がします。他の地域の歴史で、本書と同様のテーマを扱った著作があれば是非読んでみたいところですし、著者が野球以外のスポーツについても何か書いてくれることを期待したいと思います。