山川出版社から出ている「世界史リブレット人」も大部多くの巻が刊行されてきました。今回はアメリカ合衆国初代大統領ワシントンです。合衆国初代大統領、アメリカのお札にも肖像画が載っているということで、その名前や顔は見たことがある人が多いと思います。しかし彼がどのようなことを行ったのか、どのような経歴を経て大統領となったのか、その辺りについて詳しく述べられる人というのは少ないと思います。今では事実ではないということになっている桜の木のエピソードくらいでしょうか。
アメリカ本国でも知名度は高いけれども偉大な大統領は誰かという調査をすると彼は7番目だったり、あまり高い評価がされていないようにも見えます。知性や教養が有るタイプでは無かったらしいということは同時代人のかれに対するコメントにも見られます。しかし、彼に対しては人々は畏怖の念と敬意を抱いていたこともうかがえます。
本書はワシントンがいかにして合衆国初代大統領として、合衆国の国制を作動させる役割を果たしたという観点から、植民地時代、独立戦争、そして連邦政府の設置や憲法制定といったアメリカ合衆国建国の過程で彼がどのような役割を果たしたにふれています。党派的利害にとらわれず公共善を追求する無私の精神をもち、大陸軍の司令官として軍功を挙げながら戦争終了後にそれを梃子にのしあがるのでなく公務から引退しようとする、有徳の者として評価されるワシントンだからこそ、君主政的な要素を持つ大統領制を共和政のなかに位置付け、機能させる事が可能になったというところでしょうか。
私的利益を追及する党派的な政治家ではなく、公共の利益を追及する政治家と言う点で、彼については植民地時代の紳士(ジェントリ)の流れを汲む旧時代的価値観の政治家の最末期の世代のようでもあります。すでに彼が大統領になる頃には政治が「利益」により語られるようになり、「利益」の追求や「利益」を前提とした政治が彼以降になると展開されていくことになります。しかし、その旧時代的価値観のゆえに極めて不安定な初期の連邦をまとめるには打ってつけな人物だったというところでしょう。そしてかれの政治的な課題は不安定で脆弱な連邦をいかにまとめていくのかということで、地域バランスを考慮した人事、地域横断型エリートの形成などにそれは表れているようです。
しかしながら建国当初より、強力な中央政府を求める連邦派(フェデラリスト)と邦ごとの自立性を重視する共和派(リパブリカン)の対立が目につくようになりそれは商工業重視か農業重視かといった経済観の違いなどにも表れてきます。その後のアメリカの党派政治の構図がすでに現れてくる時代ではありましたが、さまざまな対立を調停すると言う立場をとる大統領ワシントンもまた2期目に入ると対立構図の中に飲まれていく様子が伺えます。党派を超えた大統領として調停役を果たす事が困難になったことは、もはやかれにとり大統領にとどまることの意味は無く、大統領職を2期務め引退する事を選択したのも必然という感じがいます。
かれ自身は共和政創設にあたり「党派を超えた大統領」として振る舞い、君主政的要素を持つ大統領職を持った共和政という今のアメリカの枠組みを作り上げ、「党派の中の大統領」の時代になってもかれが作り上げたアメリカの政治的な大枠は維持されいまに至っています。抑制というものを持たない政治家も目立つようになる中、この枠組がどこまで維持されるのかは注視していく必要はあるかもしれません。