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北田葉子「マキァヴェッリ」山川出版社(世界史リブレット人)

マキァヴェッリというと「君主論」の著者として非常に有名です。マキャヴェリズムという言葉に込められた意味から、目的のためには手段を選ばないというダーティなイメージを彼に対し持つ人もいるようです。

本書ではマキァヴェッリについて、政治とモラルの分離・階層間対立を必要悪と見る視点・宗教への極めて冷淡な対応といったことを革新的な点とする所から始 まり、メディチ家を追放したあとのフィレンツェでの書記官としてのマキァヴェッリの働き、そしてメディチ家が復活したフィレンツェを追われ、「君主論」や 「ディスコルシ」を書いていた不遇な時期、メディチ家のもとで働き始め、「フィレンツェ史」を書いた時期、そしてマキァヴェッリの晩年および死後にあたる 近世の君主制国家へとフィレンツェが移行していった時期と言った具合にまとめられています。

実務担当職で有力市民の家の人は務めることがないという書記官でありながら、外交と軍事に関してはかなり積極的に働いている彼の姿を見ると、制度的なもの と実際の活動の差の大きさを感じます。世界史で出てくる「官僚制」「行政機構」といったものが現代の我々が思うものとは随分違うということがこういう所に も現れていると思います。肩書きや組織図だけで考えると色々と見誤るところがありそうです。

「ディスコルシ」などに現れているように、基本的姿勢は共和政をよしとするマキァヴェッリですが、「君主論」に色々と書いているように、君主政の優れた点 についても認識はしています。確かに君主政にはよい点もあるけれど、それをフィレンツェにおいて実施するとなると話は違ってくるというところをみている と、極めて人間的な反応だなと思います。マキャヴェリズムと言う言葉から受けるイメージと、実際の彼の姿は随分差がありますが、このあたりにもその一端が 現れているのではないかと思います。

本書では彼を中世と近世の狭間で思想的に格闘した人物として描き出しています。もし彼がもう少し後の時代に生まれてきたならば、コジモ1世の君主制体制の フィレンツェで満足して働いたであろうけれども、「君主論」や「ディスコルシ」といった著作は残さなかったのではないかという著者の推測は確かにそうかも しれないなと思います。フィレンツェの政体が頻繁に変わり、外国勢力のイタリアへの介入もあるなど激動の時代において、今の状況をどう乗り切るか思索を巡 らせるか、物心ついた時点である程度安定を享受しているか、人は置かれた状況によって色々と変わるでしょう。