まずはこの辺は読んでみよう

しがない読書感想ブログです。teacupが終了したため移転することと相成りました。

このブログについて。

いままで、サイト開設から2007年10月20日で4年目にはいったサイトHistoriaで読書コーナーを設け、その間に歴史関係の書籍を中心に色々な本を読み散らかして、紹介・感想を書いてきました(中にはあまり内容を覚えていない本もあったりしますが)。過去4年間はサイトの容量のことを考え、短い紹介程度にしてきたのですが、それだけでは何となく語り尽くせない物もありました。そこで、もっと色々なことが書けるような場がほしいと思い、サイト開設から4年を迎えるにあたって、あらたにブログのような形で掲載してみることにしたというわけです。

 

なお、こちらのブログはだいたい月に1回か2回、長めの感想を書くために使おうと思います。また、サイトのトップページの更新では3回分しか載せていないため次々に消えていく読書記録をメモする場にもしようかなと思っています(今月の読書と言った感じでまとめます)。

ではでは、これからもよろしくお願いします。なお、感想などありましたら、サイトの掲示板に書き込むか、サイトのどこかに載せているメールアドレス宛にメールを送って下さい。

 何でそんなことを書くのかというと、ブログのコメント欄でのやりとりって正直なところ好きじゃないんですよね。なんかその話題以外触れちゃいけないみたいで…。

 

「HISTORIA」の管理人より.

 

2016年12月15日:世界史リブレット人シリーズの全タイトル紹介ページに、それぞれの感想をリンクしました。こちらからどうぞ。

 

 

馬伯庸(齊藤正高・泊功訳)「両京十五日 Ⅱ 天命」早川書房

北京から南京への遷都のため送られてきた皇太子が命を狙われ、さらに北京の皇帝も危ない状態になるなか、皇太子が北京を目指す「両京十五日」、1巻が非常に面白く次を楽しみにしていました。それが無事刊行され、早速読みました。この巻では、皇位をめぐる明王朝の危機、呉定縁の素性、そして蘇荊渓の真の復讐相手と言った前の巻から続いてることが明らかになっていきます。

物語のメインストーリに関わる皇位をめぐる争いについては、朱家の中でも色々と複雑な事情を抱えながら生きている様子が窺えます。于謙が呟く「“兄弟、牆に鬩ぐ(兄弟が家庭内で争うこと)”に始まり、“兄弟、牆に鬩ぐ”に終わった」という展開ですが、父親がどちらの子に期待するのか、兄と弟の気質や器量のバランスはどうなのかなど、こういう家で兄弟というのはなかなか難しい関係になりやすいところはあるでしょう。

呉定縁の素性や、彼を付け狙うジェイソンもとい梁興甫がなぜあのような狂人と化したのか、これらの謎や皇位をめぐる陰謀の根元を辿ると、どうも靖難の役や永楽帝の存在に辿り着きます。この戦いで殊勲を挙げたものたちの中に積もる不満と野心と人的繋がり、靖難の役の際に犠牲となった人々の繋がりや永楽帝により与えられた苛烈な処分と悲惨な運命、そうしたものが色々と繋がりあいながら現れてきます。いろいろなところから湧いた水が徐々に集まり大河となるような感じで、この辺りに関する真相が明らかになっていくのですが、派手な戦闘や立ち回り、冒険を挟み込みながらそれが展開し、非常に面白く読めました。

南京を脱出し北京を目指す太子や呉定縁といった人々の活躍の一方、呉定縁と蘇荊渓、太子の微妙な関係も描かれています。実はこの一連の出来事で常に冷静に状況を判断して行動し、太子や呉定縁、于謙などをうまく動かしてきた蘇荊渓が復讐したい真の相手も明らかになります。詳しいことはここには書けませんが(話の核心に関わるので。しかしここでも絡むか永楽帝、とは思いましたが)、これまで彼女について語られてきたことすら、彼女が本懐を遂げるための手段でしかなかったということに衝撃を受けています。深い愛情を抱く相手を見つけるのは難しい,そしてそれを奪ったものに対しては苛烈なる復讐を、というところかと。

2巻でもなかなかに面白い,魅力あるキャラクターは登場します。呉定縁にたいして衝撃的な事実を告げる白蓮教の仏母は田舎者全開な台詞回しと身も蓋もない言動で、教壇トップというよりもその辺の田舎のおばちゃんという感じですがなかなか面白い人物となっています。また、途中から現れる太子の叔父(皇后の弟)の張泉とその友人でベトナム出身の宦官である阮安はこの時代ではなかなかに珍しい理系っぽい人物(阮安はまさに理系専門マニア、というかオタク気質か)として描かれています。前作からの登場人物としては昨葉何のキャラクターがだいぶ掘り下げられた感じです。彼女と蘇荊渓でなにかちょっとサイドの話が書けるのではないかとも思えます。この話、女性陣の活躍が結構目立つ展開になっています。そしてこの時代の女性の悲劇もかなり扱われております。この辺りは現代ならではというところでしょうか。

終盤で呉定縁の素性、蘇荊渓の本当の狙いが明らかになり、物語は終わりを迎えますが1巻の痛快な感じの冒険小説という展開からはだいぶ苦い結末になったように感じます。人にはどうしても譲れないもの・許せないものはある、旅を通じ友として分かり合えたと思っても、どうしても分かり合えないところはある、でもそう言ったものを抱えながら生きていかなくてはならない難しさ、そんなものを感じる終わり方となっています。宣徳帝のかなりビターなビルドゥングスロマンというと言い過ぎでしょうか。面白いので一気に読んでしまいましたが、また何度か読み直してみたいと思います。そして著者の他の本もぜひ訳してほしいものですし、「長安十二時辰」をまたどこかのテレビ局でやってほしいですね。

渡辺信一郎「増補 天空の玉座 中国古代帝国の朝政と儀礼」法藏館(法蔵館文庫)

中国というと皇帝による専制国家、という理解は多くの人にも広まっているものだと思います。しかし、専制政治をいかにして成り立たせるのか、そのしくみについてまではあまり深く考えていない、単に皇帝が独裁的に好き勝手に決めているという程度の理解の人もいるでしょう。

本書では、中国ではどのようにして皇帝が官僚を使って政治を進めるのか、皇帝が君臣関係をいかに作り上げるのか、異なる国家や種族との関係も含めて、地方との関係をどのように作っていくのか、専制国家の枠組みを維持しているのか、そのことについて朝議、元会儀礼のありかたから迫っていこうとします。

まず、専制政治の中国で,意思決定は皇帝が行っており、イニシアチブは常に皇帝が握っています。しかし,ではどのようにして皇帝が意思決定するのか、ある事柄についてどう考えるのか、その材料というものが必要となります。皇帝の意思決定の材料を得るための場、それが一部高級官僚だけで行われるものから百官を集めておこなう大規模なもの、各種専門会議まで含め様々な会議があり、そこでの議文をもとに皇帝が決裁する、あくまでも皇帝が主導権を取りつついろいろな意見を聞いて決定するものが中国の専制政治であるということが示されていきます。そして、これらの会議に基づく政治において、地域とのチャンネルが欠落している(元会の時に話を聞く場はあるがそれは国制上での会議ではない)ということも指摘されています。このようなあり方から、中央で決定したことが地方に施行される一方通行的な面がかなり強い体制とも言えるように感じました。

そして各種会議を開く場の問題も検討され、皇帝の政治空間と官僚の政治空間が分かれていた時代から、やがて会議を行う場に皇帝がのりこむ、皇帝の近くに場が会議の置かれるようになるなどの興味深い指摘や、秘書機能を担う中書・門下省の置かれた場所が、皇帝が表に出てこなくなる南朝では皇帝の私的空間である大極殿西堂のほうになっていくが、これは西堂が日常の朝政の場となったことと関係するという事が述べられています。皇帝が表に出ない、そのため取り次ぎ役が重要になる,そのような流れがあったのでしょう。

次に、皇帝が君臣関係を確認する場として朝会儀礼があり、毎朝高級官僚と行うもの、月の決まった日に多くの中央官僚と行うもの、そして冬至と元旦の朝に中央官僚と地方からの使節団、外国使節団と行うもの、この3つが挙げられます。これを通じ皇帝は高級官僚、中央官僚、地方、そして外国との君臣関係を構築し,その中枢をなすのが元旦の元会儀礼でした。

この元会儀礼のありかたは、漢の時代の朝儀(中央官僚が礼物を皇帝に送る)と会儀(皇帝が賜物や饗宴の贈答を行う)により君臣関係を結び直していく形ができあがります。そこに地方の会計・政務報告や地方特産物や租税の上納(貢献)、人材の提供(世界史で出てくる郷挙里選を思い浮かべれば良いかと)による中央と地方の関係の更新、さらに周辺国の参加による中華と夷狄の関係の更新まで加わります。この元会儀礼西晋期に制度的に確立されてその後に引き継がれます。特に地方からの貢納に対し中央から地方支配と地方秩序維持を示す儀礼(上計使謁見・勅戒の儀礼)が実施され、皇帝と各地方長官の君臣関係を維持・更新していたことが示されます。

これが変わっていくのが隋唐の時代でした。唐の記録では中央官僚が礼物をおくることがなくなったり、諸州・諸外国の貢ぎ物を納める儀礼がはっきりと定められるなど、君臣関係の更新儀礼が消えて、地方や外国の従属・貢納関係が強調されているようです。いっぽうで、臣下が身振りで臣従を示す儀礼が加わったり、地方長官や高級幹部が元会儀礼に参加する仕組みのもとで上計使謁見・勅戒儀礼が消えるかわり、地方長官や高級幹部が任期1年の朝集使として元会儀礼に参加する(なおこの役職は在京中の儀礼への参加のほか、地方の人事考課、地方からの貢納や人材提供を任務とする)、このような変化が見られます。この変化には中央集権化の推進、君臣関係の一元化とともに、地方長官(州、郡、県の長官)が自分の本で働く部下を自分で選んでいた漢から六朝までとは違う状況が生じたことが関係するようです。地方との従属関係を見ていると、州、郡、県の長官がいるというところは郡県制度ですが、中身は封建のように見えます。

最後に、外国との関係、帝国的秩序についても元会儀礼からどのようなことが見て取れるのか,分析が進められています。様々な勢力を支配下に置く多様性に満ちた帝国的なまとまりを示すうえで、諸勢力からの貢ぎ物というのは重要だったことが分かります。また諸外国からの貢納物は従属関係を作るためだけでなく、貢納物が加工されて衣服や器物、食料となり、王朝で使われていたようです。

様々な勢力を支配下に置く多様性に満ちた帝国的なまとまりを示し、なおかつ王朝自体の維持のためにも必要、それが地方や諸外国からの貢納品だったというとろでしょうか。この部分に出てくる各国からの貢ぎ物が儀礼の場に並べられ、その多様性が明示されることで帝国的なまとまりが目に見える形で示される(庭実)ということや、禹貢の九州からの貢献物リストを見ると、を見ると、何となくペルセポリスのアパダーナの浮き彫りやヘロドトス『歴史』のアケメネス朝支配下のサトラップ一覧をみているような感じがしてきます。帝国的秩序を作るにあたり、幅広い勢力が従っていることを見せるというのは極めて重要な手段だったということが洋の東西を問わず見て取れる、と言うと言い過ぎでしょうか。こういう点で、ローマ帝国にそういう儀礼はあったか、私は残念ながら分かりませんが、あまりそういう話を目にした記憶がありません。「帝国」と日本語の単語では同じ物になりますが、色々と違いが現れているようにも感じます。

中国の専制政治がどのようにして機能していたのか、国内の君臣関係や外国も含めた帝国的な秩序がどのようにして成り立っていたのかを,儀礼を通じて明らかにしていく本書を読むのは刺激的で楽しかったです。これが文庫で読めるというのが実にありがたいことです。本書の対象は漢から後のことですが、皇帝専制の体制のもとで、このような分権的な封建のようなしくみと中央集権の郡県的なしくみの折衷が進んだというのがなかなかに興味深いところです。

姜尚中(総監修)「アジア人物史9 激動の国家建設」集英社

アジア人物史も残すところわずか、今回の9巻は近代国家建設や民族運動に関連する項目が多くなっています。最初に「東学」を生み出した崔済愚と高宗をとりあげたあと、様々な地域を見ていくという感じです。

内容を見ると、パン=イスラム主義で有名なアフガーニーや、トルコ共和国建国の父ムスタファ=ケマル=アタテュルク(昨今のアタテュルクに対する扱いも少し触れています)、そして中国革命でよくでてくる孫文といった有名人から、名前だけはどこかで見たとおもうサヤー=サン、そして中央アジアの革命家や日本にもやってきた近代イランの知識人政治家など、なかなかこういう企画などに関心が無いと目をする機会が無い人たちも多く取り扱われています。

西アジア、東南アジア、中央アジア、かなり多くの人物を世界各地の事柄で取り扱うため、どうしても分量は少なめになるところもありますが、自分があまり良く分かっていないところを読むのは正直なところ大変なこともあるけれど面白いものです。

そして、この巻で最も多く扱われているのは幕末(ここで渡辺崋山もでてきています)、そして明治の日本で活躍した人々です。 江戸時代の佐久間象山横井小楠など、幕末の群像という形でこの時代に活躍した人々で一章をさき、さらに経済の分野で渋沢栄一を中心に描き、さらに日本におけるキリスト教ということで内村鑑三南原繁矢内原忠雄をとりあげ、さらに内藤湖南など日本の東洋学者をについても一章をあてて近代日本の思想や学術についても扱っていきます。

そして本書は900頁を超えるという他の巻よりも分厚い内容となっていますが、その中で1章をほぼ一人で独占し、しかも130頁も使って書かれているのが伊藤博文です。本シリーズの執筆者を見ると、歴史を専門とする人が多い中、ここの執筆者は法学部の先生であり、憲法学や法学といった観点からの話が多く盛りこまれています。伊藤博文個人の伝記的内容もありますが、イントロでヨーロッパにおける主権国家体制の成立や国家についてとりあげ、この時代のヨーロッパにおける憲法学や法学の潮流と日本がどのように関わってきたのか、伊藤たちが「国のあり方」を考えるために当時の憲法学、法学を学びながら日本で純然たる君主政のもとで「憲法政治」を実現しようと努力する様子が描かれていきます。その一方で、めざす「憲法政治」が果たして実現できたのかという課題についても考えさせられる内容となっています。

西欧文明と直接向かい合わなくては行けなくなったアジア諸地域において、どのようにして国家建設に取り組もうとしたのか、西欧近代と向き合いそれにどのように対応しようとしたのか,各地域で違いが現れてきます。人物を通してその様子を描いた一冊、非常にボリュームのある巻ですが面白いと思います。

3月の読書

3月になりました。3月は次のような本を読んでいます

 

山内進「掠奪の法観念史」東京大学出版会:読了

馬伯庸(齊藤正高・泊功訳)「両京十五日 Ⅱ 天明早川書房:読了

渡辺信一郎「増補版 天空の玉座法蔵館法蔵館文庫):読了

姜尚中(総監修)「アジア人物史9 激動の国家建設」集英社:読了 

馬伯庸(齊藤正高・泊功訳)「両京十五日 Ⅰ 凶兆」早川書房

時は明朝、4代目皇帝の治世、皇太子朱瞻基(のちの宣徳帝)が南京へと派遣されてきました。皇帝の意図は永楽帝が北京に移した都をまた南京に戻そうというものであり、そのために朱瞻基が派遣されてきます。しかし南京に到着したとき、彼を乗せた宝船が爆破され、出迎えに来ていた南京の官吏たちも多く犠牲となりました。辛くも助かった皇太子ですが、北京からの急使から北京にいる皇帝も危篤状況にあることを知ります。

爆破からは助かったものの、その後も命を狙われる皇太子は船が爆破した時にたまたま出会った南京の捕吏・呉定縁、南京の下級官人・于謙、そして秘密を抱えた女医・蘇荊渓らとともに南京を脱出し、北京を目指すことになりますが、、、。白蓮教もからみながら陰謀が練り上げられ、敵が事を起こすまで15日、南京から北京まで辿り着き敵の野望を挫くことはできるのか。

この4人の中で実在の人物は皇太子朱瞻基、そしてこの物語では南京の下級官人にすぎない于謙です。皇太子はのちの5代目皇帝宣徳帝であり、明の皇帝のなかでは国政を安定させた君主として評判は良いほうです。なお彼は鄭和に最後の南海遠征を行わせていますが、物語の序盤で鄭和も登場します(宝船爆破事件にまきこまれ、物語中では活躍しておりませんが)。

本書では皇太子は何度も水の中に落ちたり、汚泥に塗れたり、あろうことか髪を剃り上げられたりと散々な目にあい、結構ボロボロな扱いもされております。しかしながら道中で目にする大明帝国の現実に対していろいろと考えるところもあるようです。本書では南京遷都により様々な問題が生まれる可能性、庶民への負担の増大、漕運に伴う経済活動の重要性、そして北方対策として北京の持つ重要性などが随所に盛り込まれています。こうした経験がその後の「仁宣の治」にどう活きていくのか気になるところではありますが、そのまえにまずどうやって北京までたどり着くのかというところでしょう。

もう一人の実在人物である于謙ですが、彼は宣徳帝の時代に反乱鎮圧に従軍したり、地方官として活躍します。しかし彼が歴史の表舞台に躍り出て明朝の命運を救うことになるのは宣徳帝の次の皇帝の時、「土木の変」の後になります。ただ、この時の対応が原因で「土木の変」の8年後に于謙は断罪され処刑されてしまうことになります(後世に名誉回復はされるのですが)。本書で書かれる于謙も才気ありかつ気骨溢れる(ただ少々頭が硬い感じもありますが儒学を学んだ官僚となるとそれは致し方ないかと)ところを見せていますが、個人より社稷を重んじるところなど、その後の彼の行く末を暗示するような様子も見られます。

2人のオリジナルキャラクターもなかなかに魅力的です。呉定縁は南京では名の知れた捕物役人のボスを父としながらも、飲んだくれで持病持ち、妓楼を冷やかし父親から金をせびるという始末で周囲からは「ひごさお(長くて細いひごではふな竿にはならないとバカにしている)」と呼ばれています。まさに「昼行燈」という感じですが、実は父親の事件解決の背後で彼が動いており、本書でも序盤から切れ者っぷりをみせていきます。そして、どうも彼の出生にはかなり重大な秘密があるようです。

そして、実はこの4人の中でも相当な切れ者が女医の蘇荊渓です。確かな医術で皇太子の矢傷を治し、相手の話を注意深く聞きとりいろいろなことを直ちに理解する、そしてどんな状況でも冷静に判断して行動する彼女がなぜこの一行に加わったのかは、個人的な復讐が絡むような話として所々で語られています。一人はまず討ち果たしますが、果たして彼女が狙う真の復讐相手は誰なのか。

窮地に陥りながらも巧みにそれを切り抜けながら北京を目指す4人、その行手を阻むものは白蓮教徒と政府要人たちです。永楽帝恩顧の臣が皇太子の命を狙い南京で攻撃を仕掛けてきたりするだけでなく、道中で彼らの息のかかったものたちが一行の行手を阻まんとします。黒幕の正体はこれから明らかになりそうですが、皇族と何かしら繋がりがある者がいるようです。そして、彼らを追う白蓮教徒側もなかなか手強そうな面々がいます。何かしら甘いものをいつももぐもぐしながら現れる女子・昨葉何が暗躍し様々な情報を集め、確実に一行を追い詰めていこうとしている感じがします。そして、呉定縁にとり因縁の敵である梁興甫はまるで「十三日の金曜日」のジェイソンの如く迫ってきます。これがとてつもなく凶暴・強力であり、倒したと思っても何度でも立ち上がり行手を阻み、圧倒的な暴力と狂気をもって迫ってきます。こんなに終われるだけでも絶望感しか感じないのですが、果たしてどうなるのでしょうか。

そして白蓮教団側は呉定縁について興味深い情報をつかんだようですが、これも次巻でわかることになるのでしょう。本書のなかに靖難の役の顛末について興味深い描写もみられたりしますが、果たしてそれと関係があるのでしょうか。読み始めてから、窮地に遭いながらそれを切り抜けていく一行の活躍が面白く、一気に読み切ってしまいました。果たしてどのような結末が待つのか、次巻を待ちたいと思います。

ジェイムズ・ポスケット(水谷淳訳)「科学文明の起源」東洋経済新報

科学の歴史というと、前近代には中国など非ヨーロッパ圏での成果が多く取り上げられますが、ある時期からヨーロッパ中心になっていきます。特に近代科学ともなると、「科学革命」あたりからはもっぱらヨーロッパ(そしてアメリカ)の話題が中心となっていきます。しかしながらヨーロッパだけで近代科学は発展できたのか。

本書はそれに対し「否」と答えるスタンスをとっています。ヨーロッパでの様々な発見や学問の発展は、他の地域でみられた自然科学の成果とも連動しているということ、さらに「世界の一体化」が進んだ近代欧米における科学の発展に関しても非欧米系(日本や中国など)の研究者がそこで研究に従事し成果を上げていることを具体的な事例を挙げながら示していきます。

時代としては15世紀頃から始まる本書ですが、非欧米圏における自然界への探求、自然科学の成果の存在、そしてそれを欧米がどのように取り込んでいったのかを取り上げていきます。アステカにおける動植物観察の成果が取り込まれ、イスラム天文学等の成果が伝えられたこと、一方で中国にイエズス会宣教師がやってきて西洋の学術成果が中国に伝わったり、江戸時代の日本で西洋の学問を取り込み蘭学が発展したことなどがみられます。そして、欧米中心に近代科学が発展した時代には、物理学分野で欧米の研究機関にて学んだ日本や中国、インドの研究者が様々な成果を上げていく様子が書かれたり、中国での稲の交配技術確立やメキシコやイスラエルでの遺伝学研究と食糧増産に関わる話などもみられます。そして終盤ではヒトゲノム解析やAI、宇宙開発と行った現代の科学と世界各地での取りくみがふれられていきます。

扱う時代によりテーマは変わりますが、本書は非欧米圏における自然科学の発展について取り上げていますが、前近代の「黄金時代」とその後の停滞という形では取り上げていません。「黄金時代」とされる時代以降も非欧米圏での自然科学の営みは続いており、欧米圏との相互交流と刺激を通じて科学全体が発展していったというところが本書の見立てといえるでしょう。いろいろな制約があるためか、スポットでの紹介のようになっているところもありますが、非欧米圏での科学の歩みの一端がわかりやすくまとまっていると思います。

それとともに、科学の歩みについていろいろな事柄が結びつく、それが問題となることも示されていきます。自然の探求と博物学の発展は薬の材料や新たな食料を求める動きとも連動していますし、遺伝学研究は人口増加に対して食料をいかに増産するかということ、そして冷戦の時代にはアメリカが中心となり進めた食糧増産計画「緑の革命」は社会主義封じ込めを図ろうと言う意図と絡み、遺伝学研究もそこにかなり関係している様子が見られます。

そして、グローバル化ナショナリズムの強まる現代では、AIや宇宙開発、ヒトゲノム解析といったものが各国の勢力争いや国威発揚と結びついて発展しているところもあり、科学の発展がもたらすであろうと想像された未来とは少々違う事態も起きているようです。

また、本書で書かれた範囲内でも,科学の発展の歴史には様々な「不均衡」が現れています。欧米圏と非欧米圏の結びつきや刺激ということについて、両者は決して同じ立場ではないと言うことが随所に示されています。そこには奴隷貿易や植民地支配、軍事的征服の問題といったことが関係するだけでなく、非欧米圏の知識を欧米圏の研究者が掠め取るような状況も見られます。

さらに、本書ではインドの科学者に関するところで触れられるような男女の差別の問題もみられますし、所々で女性の科学者の話題も出てきます。しかしながら、本書で取り上げられている事例も多くは男性のものであったりします。科学の歴史を書くに当たって、まだまだ開拓の余地は残されているようです。

近代科学の歩みについて、欧米の話だけでなく、より広い範囲からそれを捉えようという試みとして、面白く読めました。科学の歩みは何者にも縛られない自由で平和な歩みでもなければ、科学の成果がバラ色の未来を保障してくれるかはわからないものでもありますが、ここまでの科学の歩みを考えることで、今後の歩みを考えるヒントは得られるのではないかと思います。

 

堀地明「清代北京の首都社会 食糧・火災・治安」九州大学出版会

清朝の首都北京、そこは皇帝や王族、官僚、八旗の構成員だけでなく多くの人が暮らす大都市です。そんな大都市でどのようにして人々に食糧を安定供給していたのか。また、洪水などの災害や都市では避けられない火災、そして犯罪の発生といった問題もあるわけですが、そのような事態にどのように対応していたのか。本書は食糧供給、火災への対応、治安維持について扱っていきます。もともとは独立した論文であり、一冊の本として一貫した何かがあるかといいうと第1部と第2部・第3部ではちょっと違う感じもします。また、扱う時代についても第1部は道光帝あたりで話が終わるのですが、第2部と第3部は20世紀まで入っています。

本書の第一部では清朝乾隆帝以降の時代を中心に、災害時の政府による救済対策から始まり、北京への食糧供給のあり方、それに伴う不正行為への対応がかかれていきます。やはり買い占めて高騰してから売ろうとする者もいたようで、それに対する対応が書かれていたり、多くの人々の食糧を賄うため南から北へと食糧を運びこみ、それを蓄えたり売りに出したりしている様子がみられますが、江戸時代の札差と武士の関係のようです。持ち込まれる米にもランクがある(質の良いものから並のものまで)ということも書かれているほか、「米」という文字を使っていますが、いわゆる雑穀も含まれることなど、当時北京に持ち込まれ,消費された穀物事情が伺えるところもあります。また、城外への持ち出しについても基本的にはアウトだけれど人が肩に担いで持ち出せるくらいは良いとしていますが、これも周辺の食糧事情が背景にあるようです。そして、「回漕」という問題が発生していますが、漕運のノルマを果たすために途中で食糧を買っているのですがその食糧は北京から持ち出されたものであり、結果として運び込む量を減少させてしまうが故に問題となっているようです。ノルマ達成が目標になってしまうことの問題を感じさせられます。

さらに第2部では北京の町で度々発生する火災についてどのように対応したのか、そして近代的な消防隊の編成がどのように進んだのかが扱われます。清朝では消防にあたる業務を八旗の兵士などももちいつつ、いっぽうで民間人による消防団「水会」も作られ、彼らにもかなり頼っている様子が窺えます。また、紫禁城の消防組織は八旗正規兵であったものを19世紀末に漢人の民間人を多く使うようになるとともに専門化・高度化していったようです。さらに、義和団事件以後に日本も関わる中で近代的な消防隊が設立されますが、そこに関わったのが川島浪速だったというのは色々とその後の歴史を考えると興味深い物があります。しかし水会が近代的な消防組織と併存する状況が続いている様子も書かれています。

そして、第3部では北京の治安維持についても扱われます。そもそも治安維持のための組織はあれど人員が常に不足している(それを改善する様子も見られない)、隣組的な保甲の制度が設けられ、どこに誰が住んでいるのかを把握しようとする一方で、調査が長期間まともに行われず放置されていたりと、支配の緩さが垣間見えます。さらに19世紀の内憂外患は北京の治安にも関わりがあり、戒厳状態になることも度々あったことがうかがえます。北京という横のつながりが希薄な大都会では、隣に誰がいるかも分からず、犯罪を防ぐのはかなり難しかったであろう様子が窺えます。そんな状況でも、民間に頼りつつ治安維持のために人を組織化し、それがあるものは近代的な警察へとつながり、あるものは断絶していくという過程が書かれています。

北京のような流動性の高い都市では保甲による住民の把握が半ば放棄されたも同然となり(何か問題が生じると把握しようと努めるが)、また把握しきれない人々は茶館や寺廟などを拠点として活動していることが書かれています。このあたりは大都会ならではの問題とも言えるのでしょうか。現代でも東京で自分の家の隣が何者なのかわからないというのは珍しいことではないですし、家がなくネットカフェで暮らすようなことは起きています。

都会のような自分が何者かを他人に知られにくいという環境は犯罪などいろいろな問題をうむいっぽうで、煩わしさを感じずに生きられる可能性もあります。当時の北京の住民の中で、他所から流入していた人々がどのような暮らしを送っていたのか,どのような思いを抱いて日々を過ごしていたのか,そのあたりについて知ることができると良いなと思いながら読んでいました。

本書では危機の際には住民同士協力し合っても、それが終わるとまたつながりが消えていくところがあるいっぽう、民間の消防組織「水会」を設立したことが北京の人々の社会的関係の構築にあたり重要な意味を持つことも示されています。都市を舞台に人々がどのような関係を作っていくのか、第2部と第3部ではそのあたりを火災は防犯への対応という点から描き出しているように感じました。また、清朝の支配の意図的・あるいは意図せざる緩みのようなものもところどころから感じられます。あえて曖昧にすることで治る部分と、それではだんだん難しくなる部分があるのでしょうか。あえて国がなんでも厳しく決めるのでなく、民間の活用(あるいは依存)によりカバーしている部分が描かれています。国と人々の関係、人々の結びつきの構築について考える手がかりの一つになりそうな本でした。

 

 

2月の読書

2月になりました。

今月はこんな感じの本を読んでいます。先月からちまちま読んでいる洋書はまだ読み終わる気配なしですが。

 

アヴラム・デヴィッドソン「エステルハージ博士の事件簿」河出書房新社河出文庫):読了

小野昭「ドナウの考古学」吉川弘文館:読了

宮嵜麻子「ローマ帝国の誕生」講談社(現代新書):読了

馬伯庸「両京十五日 Ⅰ 凶兆」早川書房:読了

鈴木真弥「カーストとは何か」中央公論新社中公新書):読書中

ジェイムズ・ポスケット「科学文明の起源」東洋経済新報社:読了

堀地明「清代北京の首都社会 食糧・火災・治安」九州大学出版会:読了

山舩晃太郎「沈没船博士、海の底で歴史の謎を追う」新潮社(新潮文庫)

日本史でも元寇の沈没船が発見されたことが過去ニュースにも取り上げられていましたが、海に沈む沈没船から様々なものが発見され、それによって歴史の一端が明らかになることがあります。地中海の古代ギリシアの沈没船から見つかったアンフォラが当時の経済活動の一端を知る手がかりになったり、インド洋で中国の陶磁器を積んだ船が見つかり、アジア海域世界の交易の一端がつかめるなど、いろいろな成果が得られています。

本書は水中に沈んだ遺跡を調査する水中考古学で活躍する著者が、英語力ゼロ(トフルで1点を叩き出す、ハンバーガーさえ注文できず悪戦苦闘するなど初期の頃のエピソードは強烈です)、しかしそこから努力を重ね博士を取得、各地の水に沈んだ遺跡の調査を行うようになる過程と、著者が調査に関わった各地の水中遺跡とそれに関するエッセイからなる本です。

本書の中には水中考古学に関連する専門的な事柄、例えばどのような機材を使っているのか、調査のための作業時間はどれくらいとれるのか、作業の準備はどのようなことが必要なのかなどを可能な限りわかりやすい言葉で伝えています。また調査チームの組み方などの話もでてきますが、集団生活を送っているといろいろ人間関係のトラブルも起こるようで、その手のことに対するストレス耐性はとても大事な気がしてきます(昨今、その手の能力は要らないと思う人が増えているようですが、それでは大業は成せないでしょう)。

また、水中考古学について色々と興味深いことが書かれています。例えば沈没船の発見場所は港町の近くが多く、それは港を出てすぐと帰ってきた時が最も事故が起きやすいためということであったり、大航海時代のキャラベル船は実は設計図が見つかっておらず詳細な構造が不明であること、水中考古学も国によって遺跡から得る情報や研究の主たる目的も色々と違うことなどが触れられています。冷たい雪解け水が流れるドブ川にも潜るなど色々と大変なこともあるようですが、大変だけれどとても楽しそうな様子が伝わってきます。

そして、著者は古代から近代まで様々な水中遺跡の調査に関わっていますが、水中考古学者としての強みとして、様々な沈没船の船型図を覚え,多くの調査に関わることで、沈没船がどのように沈み埋まっているかを速やかに理解できること、そして著者が途中で思い切ってテーマを変更して博士論文にまとめあげた新しい技術を組み合わせた沈没船発掘の方法論が挙げられると思います。とくにフォトグラメトリを用いた発掘研究の方法論を打ち出したことが水中考古学の分野に対する大きな貢献であり、それゆえに著者がいろいろな遺跡調査に呼ばれるのでしょう。

何かを解き明かすということは学問の世界で非常に重要なことだとおもいますが、研究のための新たな方法論を確立することもまた重要なことでしょう。それにより、さらなる探求が可能となり、新たな世界が広がる可能性が増すのですから。

 

 

シオドラ・ゴス(鈴木潤訳)「メアリ・ジキルと囚われのシャーロック・ホームズ」早川書房

ジキルとハイドの話やフランケンシュタインなど様々な物語に登場するマッドサイエンティストたち、その娘たちがクラブを結成し謎を解き明かす、「アテナ・クラブ」シリーズの完結編がでました。前作でシャーロック・ホームズが失踪、さらに終盤にはメアリのもとで働くメイドのアリスがさらわれるという事態が発生しますが、メアリ・ジキルと「アテナ・クラブ」の面々は彼らを何とか見つけ出そうと探索を続けます。

失踪したホームズ、誘拐されたアリスの二人をつかってよからぬ事を企むのが、ホームズもので悪役と言えば必ずでてくるモリアーティとその一味です。彼らのもくろみは、ホームズを生け贄に使い、古代エジプトの女王を蘇生させ、その力を使ってイギリスでよからぬ事を起こそうというものでした。はたして「アテナ・クラブ」の面々は失踪したアリスとホームズを助けることが出来るのか、そして大それた陰謀を阻止することが出来るのか…

第1作の「メアリ・ジキルとマッド・サイエンティストの娘たち」 でクラブ結成までを描き、第2作が邦訳では2巻本となった「メアリ・ジキルと怪物淑女たちの欧州旅行(1ウィーン篇、2ブダペスト篇)」では、欧州大陸を舞台に科学の進歩を大義として良からぬ事をもくろむ者たちを成敗し、そして第3作は古代エジプトの超常の力をもつ女王の蘇生と,それに伴うイギリスの危機に立ち向かうという展開です。このシリーズが、登場人物の一人キャサリンが後から自分たちの冒険を題材にして、周りの突っ込みや茶々入れをうけつつ物語を書いていく体裁をとっていますが、その形は継続されています。ここでこうやって楽しくやりとりしていると言うことは結果的にはうまくいったのだろうなと思いながら、本編に入ると、こんな奴らと戦って勝算あるのか、大丈夫か、どうなるんだろうと気になりながら読んでいました。

本書に登場するマッドサイエンティストの娘達は、彼女たちの出典となるもとの話では存在しなかったり、いてもおまけみたいなもので言葉も特になかったりします。しかし本書ではそれぞれ個性豊かであり、よくしゃべり、よく動きまわります。同時に、ホームズやワトソンは、一昔前の物語でみかけた、捕らえられ助けを待つだけの主体性ほぼゼロなキャラクターであったり、毎回何かやって失敗して結局主人公に助けられるキャラクターとして描かれています。昔はそういうキャラクターは女性、主体的に動き回るのは男性が充てられる傾向が強かったと思いますが、そういった所をひっくり返したのは21世紀の物語らしいという気がします。

従来の物語と男女の役割や立ち位置が変わっているというと、物語の倒すべき敵についてもいえるでしょうか。あまり話すと内容に関わるのですが、モリアーティをあのような形でつかい、最後の戦いで対峙する敵が途中でがらっと変わるという展開は実は読んでいて驚きました。ホームズとモリアーティがいるので、どうせ彼らが終盤のクライマックスを持って行くのだろうと思って読む人が多いと思いますが、いい意味で裏切られるでしょう。

普通でない生まれであり、孤独であったりした彼女たちが、社会的な生き辛さや固定観念による制約などを感じつつも、仲間との連帯や一体感を深め、様々な危険に立ち向かいながら自分たちの力で居場所を作り上げていった物語は大団円を迎えました。一方で、大英帝国始めヨーロッパ諸国の暗部を感じさせる事柄や、当時の社会の問題点などがところどころちりばめられています。「アテナ・クラブ」の面々の中にもこうしたことに強い関心を持っている者もいたりしますが、彼女たちが果たしてどのように世の中と関わっていくのか、興味は尽きません。既に完結しているシリーズで,スピンオフとかは難しいとは思いますが、何となく話を色々な方向に広げられそうな気がしてきます。

1月の読書

明けましておめでとうございます。

1月はこのような本を読んでいます(洋書はそんな早く読めないので、今月読み終わるとは思えないですが)。昔読んだ本が文庫化され、それを改めて読んだものもあります(それにしても、なぜよその出版社で文庫になったのか。岩波は現代文庫なんてレーベルあるし、講談社も学術文庫があるよね、、、)。

 

山舩晃太郎「沈没船博士、海の底で歴史の謎を追う」新潮社(新潮文庫):読了

シオドラ・ゴス「メアリ・ジキルト囚われのシャーロック・ホームズ早川書房:読了

倉本一宏「紫式部藤原道長講談社〔現代新書):読了

大月康弘ヨーロッパ史岩波書店岩波新書):読了

城地孝「長城と北京の朝政」京都大学学術出版会:読了

澤田典子「アテネ 最期の輝き」講談社(学術文庫):読了*昔の感想に追記をつけました

山内進「増補版 決闘裁判」筑摩書房ちくま学芸文庫):読了

Michael P. Ferguson& Ian Worthington, The Military Legacy of Alexander the Great,Routledge:読書中

Xin Wen , The King's Road:Diplomacy and the Remaking of the Silk Road , Princeton University Press:読書中

今年のベスト

そして、こちらで今年のベスト本約10冊をまとめようと思います。

正直言って難しいですが10冊に絞ります。

泣く泣く削ったバート・ホールの火器の誕生の本とか、ローラン・ビネやキム・イファン、ニー・ヴォ、マギー・オファーレルの小説、諫早先生の馬の本,井上先生のローマ軍の本等々、削るのは惜しいと思った本もありますが、あえてこれにします。来年も面白い本が色々読めることを願っております。

 

削った本の中では小説が多くなりましたが、小説でない本でおすすめしたいものが多かったこともあり、「ジュリアン・バトラーの真実の生涯」をピックアップしました。それ以外の本も面白かったので、上半期ベストと下半期ベストも見てもらえると嬉しいです。

また。私の志向としてディオドロスの訳と註ははずせません。また、「古代ギリシアと商業ネットワーク」も自分の興味関心から、この辺りの本をよんでみてほしいとおもっていれています。

そして、今回のベストに隋唐帝国関係が多いのですが、これは面白い本に結構当たったためです。中公新書の2冊は新しい成果や視点を盛り込みつつ読みやすくまとまっており、隋唐の歴史についての見取り図を得るのにちょうど良いと思います。そして専門書の2冊はこれから先のこの分野で非常に重要な本になりそうな気がします(新見先生の本は唐の後期の捉え方に、西田先生の本は「羈縻政策」に関して大きな転換を迫るものだとおもいます)。

その他については、オットー大帝に関して新書レベルで読んでおいた方が良いものがでたのはありがたいです。イタリアの子供向けの歴史学の入門書は日本では大人も読んだ方がいい事柄がわかりやすくまとめられています。そして、ブッツァーティのジロ・ディタリアの本は新聞のスポーツ記事もこの人にかかるとこうなるのかという点で非常に面白いです。

 

ディオドロス「アレクサンドロス大王の歴史 」河出書房新社

杉本陽奈子「古代ギリシアと商業ネットワーク 」京都大学学術出版会

新見まどか「唐帝国の滅亡と東部ユーラシア 」思文閣出版

森部豊「唐  東ユーラシアの大帝国」中央公論新社中公新書

ピエルドメニコ・パッカラリオ、フェデリーコ・タッディア「だれが歴史を書いているの?」太郎次郎社エディタス

ディーノ・ブッツァーティブッツァーティのジロ帯同記」未知谷

三佐川亮宏「オットー大帝」中央公論新社

平田陽一郎「隋 「流星王朝」の光芒」中央公論新社

西田祐子「唐帝国の統治体制と「羈縻」」山川出版社

川本直「ジュリアン・バトラーの真実の生涯」河出書房新社

下半期ベスト

下半期は正直なところ、あまりまともに読めなかった時があったりします。

でもある程度は読んだのでそこから下半期のベストをまず選びます。

2023年のベストはもうそろそろだします。

そして、アップしてから気がつきましたが、2冊既に上半期でアップした物が含まれていました(感想書くのがずれ込んだので7月に書いていました。すみません。その2冊は削りました。そのかわり1冊追加しました。結果9冊です)

 

マギー・オファーレル「ルクレツィアの肖像」新潮社

三佐川亮宏「オットー大帝」中央公論新社

小野寺拓也・田野大輔「検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?」岩波書店

平田陽一郎「隋」中央公論新社

西田祐子「唐帝国の統治体制と「羈縻」」山川出版社

川本直「ジュリアン・バトラーの真実の生涯」河出書房新社

岩﨑周一「マリア・テレジアハプスブルク帝国創元社

姜尚中(総監修)「アジア人物史6 ポスト・モンゴル時代の陸と海」集英社

荒川正晴ほか(編)「岩波講座世界歴史2」岩波書店

姜尚中(総監修)「アジア人物史6 ポスト・モンゴル時代の陸と海」集英社

アジア人物史6巻は、モンゴル帝国によるユーラシア統合が終わりを迎えた後、ユーラシア各地でみられた国家の形成、宗教の伝播、交易ネットワークの展開を扱います。かつてモンゴル帝国が存在した世界で海と陸のネットワークが結びつきました。そのつながりはモンゴル帝国が解体した後もいろいろな形で現れてきますが、それがどのような形で現れたのかを描き出していきます。

また、国家形成と言うことではモンゴル帝国を継承せんとしたティムールの帝国とその後裔であるバーブルのムガル帝国樹立だけでなく、その周辺や支配された地域の動向も扱います。東方では中国に現れた明がどのようなかたちでモンゴル勢力と関わりを持ち、ネットワークとの関わりをどのような形でとっていったのかを扱います。モンゴルとの関わりを描くに際し、藍玉を章の主要人物として取り上げ、土木の変あたりまでを扱い、明とモンゴルの「第3次南北朝時代」という視点を取り入れているのがなかなか新鮮です。西方ではメフメト2世のもとでオスマン帝国が征服地を拡大しつつ「帝国」としての形を作り上げていく様子があつかわれています。

そのほか、中国とのネットワークの関わりの中で発展した琉球室町幕府の日本、そして李朝朝鮮が扱われていきます。これらの国々も明との間でどのような関係を構築いていたのかということに留意しながら書かれていますが、明の使節に対しても上から接する足利義満の姿はなかなか面白いものがあります。そして、李成桂が朝鮮の正式な王として認められず、3代目の王の時に認められたというのは知りませんでした。

明を中心とした東アジアの秩序構築ということでは、鄭和の南海遠征は当然のことながら、永楽帝のモンゴル遠征や彼の時代に東北部で活動した宦官イシハといった人物が取り上げられています。そして明中心の秩序への挑戦、貿易の拡大の要求を進めた勢力として王直とアルタンがとりあげられています。

そして、東南アジアについては宗教や思想の伝播という観点からその地域の歴史が語られていきます。イスラム教の広がりがみられた島嶼部、上座部仏教がひろまったミャンマー、タイ、そして儒教が受け入れられていったベトナム、それぞれの歴史の展開をこういう観点からまとめるというのが面白いと思いながら読みました(ただし、人物名についてはなかなか追いつくのが難しかったです)。

思想や文化に関する記述は他の間と比べるとやや少なく感じるところはあります。しかしながら王陽明陽明学をとりあげながら、大川周明まで話を展開するスケールの大きさはなかなか面白い内容となっていました。いっぽうで女性に関する記述はあまり目立たないところは致し方ないのでしょうか(バーブルの姉とか、バーブルに関するところでちょこちょこと見かけましたが)。

モンゴル帝国解体後の世界がどのような展開を辿ったのか、多くの人物を登場させながら各地に「伝統」とみなされる文化を作り出していった様子とあわせて描き出されています。扱う人物のセレクトもふくめ、切り口もなかなか面白い本だと思います。